第19章:怨讐  マルスたちは、一気に城へ突入する。気付いたメラネーロ軍が、それを阻止すべく 総力を挙げて迎え討つ。 「こちらへ!」 ファランドラが戦いの中をかいくぐり、マルスを地下通路に導く。その後ろではジー クが指揮をとり、メラネーロ軍と激しい攻防を繰り広げている。  階段を駆け下りるマルスの背後で、激しい音と悲鳴が炸裂する。振り返ると、いつ の間にか背後に回った敵を、ユベロが一撃で仕止めたところだ。ユベロは身軽に階段 を降りてくる。 「ありがとう。」 「上の方ももうだいぶ片付いたようです。もうすぐ皆も来ます。」 「さあ、早くこちらへ。急いで!」 「姉上!? 僕です。マルスです。」 「マルス? …ああ…マルス…、来てくれたのね…。」 マルスは、エリスが囚われていた牢を見つける。力任せに鍵を壊そうとするが、どう しても開かない。その間、ファランドラは険しい目付きで周囲に気を配る。ユベロも 魔導書を抱え、神経を尖らせている。 「マルス…。私より先にグスタフ陛下を…。リルナールを止めることができるのは、  グスタフ様だけよ。リルナールは、ペリネ王子に利用されているだけなの。ペリネ  王子は、お兄さんのヴァルドル王子を憎んでいたわ。…お兄さんがいる限り、あの  人は国王になれない。だからお父さんとお兄さんをそそのかし、アカネイア侵略の  戦いを始めさせたの。その間にリルナールにローデシアを侵略させ、王家の人たち  を殺させるつもりだったのよ。私をここに閉じ込めたのは、ローデシアがアカネイ  ア大陸を侵略する計画を、私が聞いてしまったから…。ペリネ王子はローデシア王  家のただ一人の生き残りになって、国王の座に就くつもりなの。リルナールは利用  されただけなのよ。だから…グスタフ陛下を助けて、リルナールを止めて…。」 「マルス様ーっ! どこですかあーっ!?」 リカードの声が響く。 「こっちだ、リカード! …頼む、この鍵を…。」 「あれっ? エリス様じゃないですか! あーあ、こんなに汚い格好させられちゃっ  て…。で、鍵ですか? へいへい、お安いご用で。」 リカードは襟元に忍ばせてあった針金を取り出すと、器用に鍵を開けた。 「エリス様、お歩きになれますか?」 ファランドラが尋ねる。 「ええ、大丈夫。それより、早くグスタフ様を…。」 「マルス様…。」 「分かっています。姉をよろしくお願いします。ユベロ、グスタフ陛下を探しに行こ  う。」 「はい!」 走り出すマルスとユベロの後を、リカードが追いかける。  グスタフの囚われていた牢は、そこからさほど離れていない場所にあった。 「陛下! アリティアのマルスです。助けに参りました。」 「おお、マルス殿…。すまぬ…。そなたの姉君を…。」 「お気になさらないでください。リカード、鍵を。」 「へいへい。任しといてくださいって。」 こちらの鍵も、リカードは難なく開けてしまった。 「マルス殿、申し訳ない。わしがふがいないばかりに…。」 「何をおっしゃいます。姉から聞きました。リルナール殿下は、ローデシアのペリネ  王子に利用されているだけではありませんか。」 「確かにそうかもしれぬ。だが、リルナールが身に余る野心を持ち、そなたの姉君を  亡き者にしようとしたのも事実。」 「…やはり、その噂はほんとうだったのですか?」 「ご存知だったか…?」 「海軍基地で、将軍らしき男から聞きました。」 「ジェロニモか…。あの男も腹黒い男だ。わしは好かんかったが、うまいことリルナー  ルに取り入りおって…。ああ、だが、わしさえしっかりしておれば、こんなことに  はならんかった。」 「陛下…。ご無事でしたか。」 ファランドラがエリスを支えながらやって来る。エリスをマルスに委ねると、ファラ ンドラはグスタフのもとに跪く。 「申し訳ございません。リルナール殿下をお止めできず、陛下を…。」 「いえ、私がいけないのです。私がリルナール様を…。」 「もうよい、二人とも。もうリルナールをかばうことはない。エリスよ。お前は私に  とって、大切な娘だ。その娘にこのような仕打ち。たとえ実の息子であっても、わ  しはリルナールを許すわけにはいかぬ。」 「全員揃ったな? よし、騎士団は出入口を閉鎖しろ! 一ヶ所も見逃すな。他の者  は地階を探索し、囚われている者を救い出せ!」 ジークの声が響く。ユベロとファランドラが、声のする方へと飛び出す。 「エリス。お前は優しい子だ。だがお前は気付いておろう。リルナールがお前を殺し、  後妻にニーナを迎えようとしていたことを。」 「陛下! …そんな…、それではやはり…。」 「ジェロニモが言っておったか? 最初ペリネは、ニーナを我が宮殿に連れてきて、  折り入って頼みがあると…。その頼みを聞けば、ニーナを我が後妻に差し出すと言っ  て来おった。わしは無論、取り合わなかった。もう今更、新しく妃を迎える気など  なかったのでな。だが、そこまでして何を望むのかは興味があったので聞いてみた。  …まったく、あの男は何を考えておるのか…。だが、ペリネは少し抜けた所があっ  てな。エリスがアカネイア大陸、アリティア王国の王女であることを忘れておった  のだ。不用意にぺらぺらと喋りおって…。わしはエリスに、このことは聞かなかっ  たことにして、決してマルス殿に話してはならぬ、ときつく言いつけた。まさか、  リルナールがその企みに加担するなどとは思わなかったのだ。」 沈黙が広がる。その中で、慌ただしく地下牢の間を駆け回る剣士たちの足音だけが響 く。グスタフは深く息を継いで、話を続けた。 「リルナールはしつこく、わしにニーナを妃として迎えることを勧めた。だが、わし  には全くその気はなかった。それで…、恐ろしいことに、自分がニーナを娶ること  にしたのだ。そのためにエリスを捕らえ、次に、事情を知っているわしを捕らえた。  なぜすぐに殺さなかったのかは分からぬがな。」 「リルナール殿下は、実に汚い手を使ってローデシアを侵略したのです。それによっ  て怒り狂ったローデシア軍がメラネーロを襲うだろうから、彼らに姉を殺させよう  としていたのです。殿下は、そこまで計算していたのです。」 「そうか…。マルス殿。わしは、リルナールをあのような男に育てた覚えはない。だ  が、やはり何かを間違えていたのだ。わしに、この責任をとらせて頂きたい。」 「グスタフ様、落ち着いてください。」 「マルス殿、わしが落ち着いておらぬとでも言うのか? わしは、長くここに幽閉さ  れ、十分に考える時間はあった。そうして考え抜いた結論なのだ。」 「グスタフ陛下、エリス様。ご無事でいらっしゃいましたか。」 ジークが一行をまとめ、マルスのもとにやって来る。 「敵は…?」 「地階にはもう誰も残っておりません。外からの攻撃も止んでおります。我らの油断  を誘うためかもしれませんが。」 「ふむ…。我々が救い出されたのを知って、出てきたところを迎撃するつもりかもし  れぬぞ。」 「あのー、エリス様。これ、エリス様のじゃないですか? 牢屋の隅に転がってまし  たよ。」 リカードが、埃まみれの杖をエリスに差し出す。エリスがそれを受け取りながら言う。 「あら…、こんな所にあったのね。」 「エリス様! その杖、私に貸して下さい!」 杖を見たユミナが叫ぶ。 「え? …ええ、構わないけれど…後一回しか使えないわ。それでもいい?」 「一回…、それじゃ…、でも、どうしても欲しいんです。使ってしまったらお返しで  きませんけど、お願いします。」 「そう。誰か、失った人がいるのね。」 「はい…。」 「いいわ。これはあなたにあげます。」 「ありがとうございます。」  エリスとユミナの会話を聞いていたシャモニーが、きょとんとした顔でアイリーン に尋ねる。 「あの杖、なんなの? すごい貴重な物みたいだけど。」 「オームの杖…、正統なる王家の長女だけが使える杖じゃ。もちろん、シスターの修  行を積む必要もあるがな。だから使える者は限られておる。王家に生を受けなかっ  たわしには使えぬ。お前が司祭になったとしても、使うことはできぬ。」 「使うとどうなるの?」 「さまよえる魂を呼び戻すことができる。じゃが、そう何度も使えるものではない。」 「…。じゃ、ユミナ様は…。」 アイリーンは、シャモニーの言葉は気にもとめず、エリスに尋ねる。 「オームの杖を使うには、祭壇が必要じゃな。城の中にあるか?」 「はい、城の中には小さな神殿があり、そこに祭壇があります。おそらく、そこで使  えるはずです。」 「そうか…、ではいずれにせよ、神殿には行かねばなるまいな。」 「城内では、宮廷警備隊と、リルナールの親衛隊が待ちかまえていましょう。くれぐ  れも油断召されるな。」 グスタフは、長く牢に閉じ込められていたとは思えぬほど、しっかりとした足どりで 立ち上がった。その姿に、長く国民に敬愛されていた皇帝の姿が蘇る。 第20章:父子  グスタフが言った通り、城内の要所要所には兵が配備され、マルスたちとの決戦に 備えていた。マルスたちはその中を、グスタフが指示するとおり神殿へと進撃する。 「無駄な戦いはするな!」 背後から襲いかかるメラネーロ軍を迎撃しようとしたナバールに、ジークが叫ぶ。 「俺には構うな。背後は俺が守る。お前らは神殿に急げ。」 ナバールは振り向かず、静かに答えた。  神殿にも、既にリルナールの親衛隊が配備されていた。だがここまで来れば、マル スたちの勝利も近い。遅れて着いたナバールを迎え入れて、神殿の扉を閉め、背後か らの攻撃を封じる。  親衛隊の最後の一人を、イシュターが串刺しにすると、マルスは祭壇の椅子に腰掛 けて戦いを見守っていた男に目を向ける。男は座ったまま、冷静な声で話しかける。 「マルス殿。きっといらっしゃると思っていましたよ。」 「話はグスタフ陛下から伺いました。残念です。我がアリティアと、あなたの国メラ  ネーロとの永遠の友好を願っていたのに…。こうなった以上、姉をあなたの側に置  いておくわけには参りません。」 「結構ですよ。私にはニーナがおりますから。」 そう言って、リルナールは不敵な笑みを浮かべた。耐えきれず、ファランドラが叫ぶ。 「なぜですか? 殿下は、あれほどエリス様を大切になさっていたのに。ニーナ様の  方が位が高い、ただそれだけで、エリス様にこんな仕打ちをなさったのですか?」 「ファランドラか。ふん、裏切り者が。あのアリティアからの使者を始末するとか言  って、姿を消したと思えば、こんな奴らを連れて来やがって。そうか、お前はアリ  ティアと通じていたんだな。」 「殿下…。私がどう思われようと構いません。ですがこのエリス様への仕打ち、我が  主君と言えども、私には納得がいきません。」 「裏切り者に聞かせる話などないが、マルス殿には話しておいたほうがいいだろう。  一応、同盟国の王だしな。そうだ、先に武器は捨ててもらおうか。」 リルナールがマルスを見つめる。マルスは屈辱を感じながらも、剣を床に置いた。 「後ろにいる奴らもだ。」 リルナールが顎で騎士団を指し示す。マルスが肩ごしにうなずく。兵士たちはしぶし ぶ剣や槍を床に置く。 「そもそも最初に話を持って来たのは、ローデシアのペリネだ。」 「伺いました。グスタフ陛下の後妻にニーナ様を差し出すから、ローデシアを襲って  くれと頼んだそうですね。」 「そうだ。ニーナはエリスを頼って、ここ、メラネーロに来ていたらしい。だが、ア  カネイア聖王国の王女が、小国アリティアの王女を頼るなどプライドが許さなかっ  たのだろう。しばらく身分を隠し、あちこち移り住んでいたらしい。そのうちに、  素性の知れない美しい女が来ているという評判がたち、その噂を聞きつけたペリネ  が、ニーナを探し出したのだ。それまで、夫を失い自殺した娘の亡霊だとか、男を  惑わし、その精気を吸って生きている魔女だとか、色々な噂があったそうだがな。」 リルナールは、そこまで話して大笑いをした。そして、射るようなマルスの視線に気 付き、話の続きを始めた。 「だが聞いてみれば、戦争で夫を失った元アカネイア王妃だとか。早速調べさせたと  ころ、確かにそういう事実があったという。ペリネはあれで、結構女性の扱いが上  手い。メラネーロに隠れ家を用意しニーナを住まわせ、アカネイアについて色々と  聞き出したのだ。なんでも、アカネイアには神剣と封印の盾という物があり、それ  を持つ者はアカネイア全土を統べることも不可能ではないと。それもまた、アカネ  イアの古い書物に記されていた。ペリネは父と兄にそのことを話し、アカネイアを  ローデシアの配下に置く計画を立てたのだ。まずアカネイアに奇襲をかけ、大陸全  土を占拠する。だが、それではアカネイアの民は決して従わないだろう。その後、  王子ヴァルドルが神剣ファルシオンと封印の盾を手に、民の前に現れる。そうすれ  ば、民もヴァルドルを新しい王者として迎えるはずだ。そして、アカネイアはヴァ  ルドルが、ローデシアは第二王子のペリネが治める。と、こういう筋書きだ。」 「ローデシアがアカネイアを侵略した理由と、ファルシオンと封印の盾を欲っしてい  た理由は分かりました。でも、それならメラネーロにローデシアを侵略させる理由  などないではありませんか。」 「ペリネは父と兄を憎んでいた。父王ヴィットールは、早くから次の国王はヴァルド  ルと決めていた。こうはっきりと言ってはなんだが、ヴァルドルとペリネを比べれ  ば、明らかにヴァルドルの方が国王の器だ。だが、ヴィットールははっきりとそう  は言わなかった。そりゃ、言えないだろうけどな。ヴァルドルが長男だから王位を  継がせる、としか言っていなかった。だがローデシアの歴史を遡れば、次男や女が  国を継いだことも珍しくはなかった。なにしろ平和な時代が長い、おおらかな国だ  からな。」 「では、ペリネ王子は納得していなかったのですね。」 「ああ。しかもヴィットールは、ペリネをヴァルドルと同じように厳しく育てた。ペ  リネはしかたなく王位を諦めて、好きな道に進もうとした。ペリネは学問の好きな  男だったから、魔導師になり、心おきなく好きな研究をしようと考えたのだ。それ  をヴィットールは許さなかった。その頃から、ペリネはヴィットールとヴァルドル  に殺意を抱くようになったのだ。父も兄も、そんなことは全然気付かなかったよう  だがな。」 「だから、自分以外の王族を皆殺しにしようと…。」 「そうだ。ペリネは、両親や兄から愛されていないと思い込んでいたからな。復讐の  つもりだったんだろう。」 「それなら、もしあの時、ヴァルドル王子が封印の盾とファルシオンを手にしていた  ら…。」 「そのはずだった。ローデシアが襲撃され、国王と王妃が殺されたとなれば、ヴァル  ドルが戻って来ないわけがない。卑怯な戦いを引き起こした張本人、第一王子のヴァ  ルドルが本国に戻ってきたところを、正義の名のもと、第二王子のペリネが倒す。  そうすればペリネは英雄だ。ペリネが王位に就くこと、民に異存はあるまい。一方  私は、ニーナと結婚し、ヴァルドルが奪ってきた神剣と盾を持ち、ローデシアに荒  らされたアカネイアに再び平和をもたらすため降り立つのだ。こうしてメラネーロ  =アカネイア帝国と、新生ローデシア王国は末永く手を取り合い、共に栄えていく  はずだった。それをどこかの王様がしゃしゃり出て、ぶちこわしにしてくれた。」 リルナールは皮肉のこもった口調で言った。 「分かりました…。これから先のことを考えると憂慮すべきものはありますが、とり  あえず、ペリネ王子の恨みは晴らせたわけです。もう戦いは終わりにしましょう。  ローデシアはペリネ王子に、メラネーロはあなたに、そして、アカネイアは私たち  に。どうか、ニーナ様を返してください。」 「そうはいかないな。」 「なぜですか?」 「ニーナは私の物だ。すなわち、アカネイアも私の物だ。」 「しかし、ニーナ様があなたとの結婚を望んでいるとは思わない。」 「エリスも望んでいなかったのではないか?」 そう問いかけられ、マルスは言葉に詰まる。 「王族同士の結婚なんて、そんなものではないのか?」 「でも私たちは、あなたをアカネイアの君主として認めない。」 「認めようが認めまいが、ニーナが我が妃となる以上、アカネイア聖王国の国王は私  だ。そして、アカネイア大陸の国々はアカネイア聖王国に忠誠を誓う。そうではな  いのか?」 「いい加減にしろ、リルナール!」  じっと話を聞いていたグスタフが怒鳴りつける。その手に、一度は捨てた槍が握ら れている。 「父上。もう、あなたの時代は終わりです。」 「リルナールよ。それほどの策謀を巡らすペリネが、お前をただで済ますと思ってい  るのか? お前はペリネを利用し、アカネイアを手中に納めるつもりでいるかもし  れぬが、逆だ。お前はペリネに利用され、このメラネーロさえも失おうとしている。  目を覚ませ!」 「ペリネに利用されている? 冗談じゃない。メラネーロとアカネイアが手を組めば、  もはや恐れる物は何もない。…そうですよ。騙しているのは私です。ペリネも馬鹿  な奴だ。ヴィットールやヴァルドルがいなければ、何一つ、軍を率いることすらで  きないくせに…。ぐずぐずしている隙に、メラネーロはローデシアに進撃します。  ペリネが騙されたと気付いた時には手遅れですよ。」 「ニーナ殿はどこにいるのだ?」 「さあ。」 「ペリネはどこだ?」 「知りませんね。」 「ニーナ殿はペリネ王子と一緒におるのだろう。もし、ペリネがニーナを連れて行方  をくらましたら、お前はどうなるのだ?」 「まさか。ペリネはそんなことはしませんよ。」 「なぜ分かる?」 「それは…。」 「口約束を信じたお前が愚かなのだ。ペリネがニーナを妃に迎えれば、ペリネは労せ  ずアカネイアを手中に納めることができる。…お前が考えたとおりにな。」 「そうなったら軍を出せばいいこと。軍事力ならローデシアの数倍、いや、数十倍は  ありますからね。負けるわけがない。」 「お前は怒りに燃えた人間の力を甘くみている。長く友好国として心を許してきたメ  ラネーロがローデシアを裏切り、国王と王妃を一瞬にして亡き者にしたことに対す  る怒りがどれほどのものか、身をもって知るがいい。ジーク殿、その扉を開けてい  ただけるか?」 一瞬ためらうジーク。だが、思い切って扉を開ける。そこには誰もいなかった。 「ローデシアの者が押し寄せているのだ。メラネーロ軍はその制圧で手一杯、お前に  構っている暇はないのだよ。」 「…ローデシアがどれほどのものか…。ふん、すぐに制圧して戻って来る。そうした  ら、お前ら皆殺しだ!」 「リルナールよ。どうしても分からぬようだな。これ以上、お前の愚かな振る舞いを  許すわけにはいかぬ。せめて、己が父の槍で倒れるがよい。それが、わしの最後の  情けだ。」 「父上! 私を殺せばニーナは…。ニーナの居場所を知っているのは私だけですよ!」 「ニーナ殿は、草の根分けてもわしらで探し出す。この国の…いや、この世界のため  に、お前には眠ってもらう。」 「陛下! おやめください!」 マルスの叫び声が響く中、グスタフはリルナールの胸に槍を突き立てた。 「父上…、いや…お前など、私の父ではない…。」 グスタフは無言のまま、槍を引き抜き、もう一度突き立てる。リルナールの体が椅子 から滑り落ちる。  アイリーンとシャモニーが祭壇の血を拭っている。グスタフが背を向け、外を眺め ながら言う。 「済まぬ…。神聖な祭壇を汚してしまって…。」 「なんの、これしきのこと。一番辛いのは陛下ご自身じゃろうて。」 アイリーンが、独り言とも、グスタフへの返事ともつかない口調で呟く。シーダは、 グスタフの目から一筋の涙がこぼれ落ちたのを見逃さなかった。 「さあ、これでよし。」 アイリーンがいつもの元気な声で言う。オームの杖を抱えたユミナが、おずおずと祭 壇に上がる。 「ははーん、お前さん、これ使うの初めてじゃな。」 うなずくユミナに、エリスが声を掛ける。 「私が代わりにやりましょうか?」 「いいえ。私がやります。」 緊張した面もちで、だが、ユミナははっきりと断る。  ユミナは祭壇の中央で、杖を差し出すように掲げる。静寂の中で、重々しい空気が 流れる。その場にいた誰もが、知らず知らずのうちに、手を合わせて祈りを捧げる。 「父なる神よ、さまよえる魂を呼び覚まし、我らに再びあいまみえさせたまえ…。」 ユミナの静かな声が広がり、杖から白い光が湧き出して来る。光はやがて祭壇を包み、 ユミナの姿をもかき消した。  光の中で、何かが弾ける音がする。そして、光が薄れていく。そこには、粉々にな った杖と、跪いたままのユミナと、横たわったアンドリューの姿があった。 「アンドリュー…、馬鹿! 何してるのよ!」 キャサリンが、ユミナを突き飛ばさんばかりの勢いでアンドリューのもとに走り、肩 を掴んで揺さぶる。アンドリューが目を開く。 「え…? キャサリン…? …おい、ちょっとやめてくれ、頭が痛いんだ…。」  ユミナが深々と息をつく。エリスがその肩を叩く。 「良かったわね。」 「はい。ありがとうございます。」 「え?」 「あの…、オームの杖です。貸してくださって、ありがとうございます。」 「いいのよ。使うべき時に使う物なんだから。」  シャモニーが泣きながら、アンドリューに抱きつく。アンドリューはまだ、きょと んとした顔をしている。 第21章:野望  メラネーロ軍が戻る前に、ペリネとニーナを探さねばならない。だが、どこにいる のか…。考え込んでいるマルスに、グスタフが呼びかける。 「王の間へ。城内で一番安全な所だ。もしペリネ王子たちが城内におるなら、王の間  に相違ない。」 「王の間…。どこですか?」 「この上だ。」 「今なら城内に敵はおりません。この隙に移動しましょう。」 「そうだな。…急がないと、今度はローデシア軍が入って来るかもしれない。」 「皮肉なものですね。敵のはずのメラネーロ軍に助けられているとは…。」 「…世の中とはそんなものじゃよ…。…不吉な風が吹いておる。気を付けなされ。」 「不吉な風…?」 「わしにもはっきりとは分からんがな。…お前さんがたにとって、とても辛いことが  起こりそうな予感がする。」 「まさか…。まさか、ニーナ様の身に…。」 「分からぬ…。」 アイリーンが首を振る。シャモニーが不安そうに見つめる。 「とにかく、行ってみることだ。」 グスタフがマルスの肩を叩く。マルスは口を固く閉ざし、うなずく。  王の間は開け放たれていた。無防備なその部屋の奥で、一人の女性が椅子に座り、 その傍らに一人の男性が立っていた。近付いて確かめるまでもなく、その女性はニー ナだった。だとすれば、男性はペリネ王子。 「おっと、そこから先は、マルス王お一人で入っていただきたい。」 ペリネは短剣をニーナの頬の辺りにあてがい、部屋に入ろうとする一行の足を止めた。 「ペリネ王子。我が城で勝手な振る舞い、少し控えていただけぬか?」 グスタフが重々しい声で命じる。ペリネは、まるで聞こえなかったかのようにマルス 一人に話しかける。 「ずいぶんと待ちましたよ。この日をね。その封印の盾と、神剣ファルシオン、それ  を持ってこちらへ。おかしな考えは起こさないように。」 「あなたはこの盾と剣について、あまりご存知ないようだ。この盾も剣も、あなたに  とっては意味のない物。」 「十分調べさせてもらいました。そして、確かにそれが、私にとって意味があると確  信するに至ったのですよ。浅はかな思い付きで、これほどのことをすると思われま  すか?」 「ローデシアだけでは飽きたらず、メラネーロとアカネイアも我が物にしようという  わけですね。」 「その通り。さすが英雄アンリの血を引く光の王子。強いだけではなく、頭の回転も  捨てたものではないようですね。」 ペリネは言葉とは裏腹な、軽蔑した笑みを口元に浮かべた。 「さあ、その盾と剣を渡していただきましょうか。」 「その前に、ニーナ様を解放していただきたい。」 「ニーナ様を我が妃に迎えてもいいのですが、盾と剣さえあれば、無理にニーナ様の  意に沿わぬ結婚を強いる必要もありません。ニーナ様はあなた方に差し上げましょ  う。」 そう言いながらも、ペリネは短剣を引こうとはしない。マルスは苛立ちを隠しながら、 ペリネをせかす。 「その剣を納めて下さい。そうでなければ、この盾と剣をお渡しするわけにはいきま  せん。」 「信用なさってないようですね。まあ、無理もない。私も、あなたを信用しているわ  けではありませんから。…では、こうしましょう。私もニーナ様を傷つけたところ  で何の得にもならない。剣は納めませんが、3歩だけあなたの方に近付きましょう。  そうしたら、あなたは私に盾と剣を渡しに来ていただきたい。確かに私が受け取っ  たら、ニーナ様は自由の身。どこへでもお連れして結構ですよ。」 「…いいでしょう。」  危険な賭だった。3歩なら、十分戻れる距離だ。一撃で止めを刺せなければ、ペリ ネはニーナを道連れにしかねない。ペリネも、マルスが襲いかかることは予想してい るだろう。隙はない。  ペリネが、ゆっくりとマルスに向かって3歩進んだ。マルスも慎重に歩みを進めた。 ペリネは右手で短剣を構え、マルスの右手にあるファルシオンに向けて左手を差し伸 べる。 「先に、剣の方をいただきますよ。」  その時、閃光がペリネの体を突き破る。手から剣が落ち、マルスの目の前で、ペリ ネはがくんと膝をついた。 「ニーナ!? お前…。」 ニーナは身じろぎもせず、右の手の平をまっすぐにペリネに向けていた。その手から 再び、電撃の最強魔法、トロンが放たれる。ペリネは一瞬体をのけぞらせ、そしてう つ伏せに倒れ、動かなくなった。  じっとマルスの背を見つめていたアリティア軍の間に安堵の溜息が広がる。 「ニーナ様…。申し訳ありません。ニーナ様の手を汚させてしまいました。でも、も  う大丈夫です。どうかご安心ください。…ニーナ様?」  マルスは、ふと不安な気持ちに駆られる。ニーナの様子がおかしい。脅えているの とも違う、冷たい瞳だ。マルスはその不安を打ち消すように、ニーナに話しかける。 「ニーナ様。長く辛い思いをさせてしまいました。ここからは僕たちが一緒です。一  緒にアカネイアへ…。」 「マルス。ご苦労だったわね。さあ、その盾と剣を置いて外に出るのです。」 「ニーナ様…。どうなさったのですか? もう恐ろしいことはありません。僕たちが  必ず…。」 「私はアカネイアには戻りません。」 「…どういうことですか?」 「あなたには気付いていたかしら?」 「…何が、ですか?」 「やっぱり気付いていないようね…。」  ニーナはすっと立ち上がり、マルスの側へと歩み寄った。 「マルス! 渡してはならぬ!」 アイリーンが叫ぶ。 「…どうなっているのですか? 僕には、よく分からない…。」 「その女じゃ! その女がすべてを操っておったのじゃ!」 「アイリーン司祭。何をおっしゃるのですか? …まさか、この人が偽者だとでも?」 「いいえ。私はアカネイア王女ニーナ。アカネイア王家の血を受け継ぐ、最後の女。  …そして、同時に、魔竜族の末裔。」 「…えっ…?」 第22章:真実 「かつて、神竜ナーガがアカネイアに降り、その剣と盾を残したのは知っているわね。  …私はナーガの再来。私は女神となって、世界に君臨するのよ。」 「ニーナ様…、どうなさったのですか?」 「マルス、やっぱり人間は愚かな存在だったようね。私は、ハーディンがやったのと  同じことを、そっくりそのままなぞっただけよ。気付かなかったの?」 「気付いていました。あまりにも似すぎていると…。でも、それは、ペリネ王子とリ  ルナール皇太子の陰謀。ニーナ様には関係のないことでは…。」 「私が吹き込んだのよ。二人は、私の手の中で踊っていただけ。そしてマルス、あな  たもね。」 「嘘だ…。ニーナ様、ニーナ様まで闇の力に操られているのですか!?」 「闇の力? そんなもの私には関係ないわ。…そう、英雄戦争の時、なぜ死んだはず  のガーネフが、ハーディンに闇のオーブを渡すことができたと思っているの?」 「それは…、ガーネフは旅の商人に姿を変えていたと…。」 「ガーネフは死んだはずではなかったの? …それはね、私が蘇らせたのよ。オーム  の杖でね。そして、ハーディンに会わせたのよ。」 「馬鹿な…。そんなはずがない。ニーナ様がそんなことをするはずがない。」 「私はね、王位を継ぐことさえできれば、それで良かったのよ。それをボア司祭が…。  アカネイアには王が必要だなんて…。私が王だったのよ。それを、マルスかハーディ  ンか、どちらかを…なんて。馬鹿にしてるわ。」 「ニーナ様が結婚を渋ったのは、カミユ将軍のことがあったからでは…。」 「カミユ…。今更何を…。あの人を殺したのはマルス、あなたよ。」 「…それは、今でも悔やんでいます。」 「いえ…。あの人を殺したのは、私自身だわ。…マルス、あの暗黒戦争の最中に、な  ぜ、アカネイア王家の中で私一人が生き延びてこれたと思う?」 「…分かりません…。」 「暗黒戦争を仕組んだのが、私だったからなのよ。」 「…嘘だ! ニーナ様…、いや、やっぱりあなたはニーナ様ではない!」 「ふふふ…、驚いたようね…。私の父は、アカネイア聖王国を不滅の王国にするため、  魔竜の血を引く女を妃に迎えたの。それが私の母よ。母は魔竜族の末裔だった。…  アカネイアで起きたマムクート狩りの話は知っているでしょう? 人間はマムクー  トを人間以下の存在として、ただ楽しむために殺した。母の両親も、そうやって殺  されたわ。でも、アカネイアのある篤志家の貴族が、親を亡くしたマムクートの子  どもを人間として引き取り、自分の養女として育てたのよ。」 「それが…、それがあなたのお母様だと…?」 「そう。母は人間として、人間の貴族の娘として育てられた。母の養父母は、父…、  アカネイア王が人間としての養女…、私の母を見初めて妃に迎えるのだと信じ、喜  んで嫁がせた…。でも、父は母のことなど少しも愛してはいなかった。父が求めて  いたのは、魔竜の血、それだけ。父は、竜族の中でも特に生命力に優れていたとい  う、魔竜の血が欲しかっただけなのよ。でもね、父は次第に恐れを抱くようになっ  たわ。母や私が、いつか魔竜の本性を表すのではないかと…。そして秘かに、私た  ちを殺そうとしたのよ。」 「嘘だ! そんな話、信じられない!」 「信じなくてもいいわ。…私も母も、竜の力なんか全然持っていなかった。そんなも  のは、とっくに封印されていたもの。ただ一つ、運命を読み取る力を除いてはね。  …母はそれでも、その運命に従おうとした。でも、私は我慢できなかった。そして、  助けを求めた。…封印された竜たちに向かって、強く、強く助けを求めるうちに、  私の中の、魔竜の血が目覚めてしまった…。でも、姿は二度と竜には戻れない。私  は、姿は人間のまま、魔竜の本性を体の中に持つようになったのよ。…そう、暗黒  竜メディウスを復活させたのは、ガーネフの力じゃない。私の意識が、メディウス  を呼び覚ましたのよ。…私はガーネフと取引をした。私はメディウスを復活させ、  ガーネフは私を父の手から救い出す…。それが条件だった。その後、私はドルーア  帝国の表向きの女帝になり、実質的な支配はガーネフに任せる、と約束したのよ。  もちろん、いつまでもガーネフの手足になっているつもりなんかなかった。でも、  ガーネフを倒すことができるのはスターライト・エクスプロージョンだけ。それを  手に入れるため、マルスには働いてもらったわ。」 「でも、あの暗黒戦争で、お父様だけではなくお母様も処刑されてしまった…。やっ  ぱりおかしい。ニーナ様がそんなことをしたはずがない。」 「あの時、母はもう死んでいたわ…。父の手によってね。」 「まさか…。」 「処刑の現場を見た者はいたのかしら? 皆、アカネイア王と王妃の首が晒されてい  るのを見ただけじゃなくて?」 「…違う! あの暗黒戦争は、闇の司祭ガーネフが仕組んだんだ! 僕たちはガーネ  フから世界を守るため戦ったんだ!」 「マルス、真実から目をそらすのは、あなたの悪い癖だわ。さあ、分かったら、盾と  剣を置いて消えなさい。」 「いかん! マルス! 剣を渡してはならぬ! すぐに逃げるのじゃ!」 「…うるさいお婆様ね…。」  ニーナがゆっくりと右手を挙げる。その指先から妖気が漂う。そして、ぼんやりと した影が現れ、次第にその姿が明らかになる。魔竜だ。魔竜が炎を吐く。間一髪、サ ムトーがアイリーンを突き飛ばし、炎は床を焦がす。ナバールが竜殺しの剣、ドラゴ ンキラーを手に、魔竜に突進する。そして、一撃のもとに魔竜を倒す。 「ふふ…、相変わらず元気だけはいいのね…。でも、いつまで続くかしら?」 ニーナは再び、魔竜を召喚する。 「ニーナ様! やめてください! 盾も剣も…、何もかも差し上げます。アカネイア  大陸に住む者は皆、ニーナ様を敬愛し、忠誠を誓っています。それで…、それで十  分ではないのですか!?」 シーダが叫ぶ。 「…あなたには分からないのよ…。竜族の血と人間の血の間でどちらにもなれず、愛  する人を失い、何もかもを失った私の気持ちなど…。」 「…悪いが、私はアカネイア王家など何とも思っていない。」 ナバールが冷酷な瞳でニーナを見据え、剣を振りかざす。 「ナバール! やめてくれ!」 マルスが絶叫する。だがその剣は、ニーナに触れる前に、鋭い音を立てて弾かれた。 「私は、人間の姿をした魔竜…。そして、人間に恨みを抱いたまま封印された竜の力  によって守られているのよ。」 そう言いながら、ニーナは次々と魔竜を召喚する。 「さあ、魔竜たち。愚かな人間を焼き払いなさい。」 「危ない!」  身を伏せ、炎の直撃はかわしたものの、激しい熱風がマルスたちを襲う。ユベロが ユミナに目配せする。ユミナがうなずく。 「今こそ…、大地の精霊よ…、我らに力を!」  ユベロが、封じられた大地の術法、メガクエイクの封印を破る。大地がうねり、魔 竜の足をすくう。だがそのうねりは、ユベロたち自身にも跳ね返ってくる。間髪を入 れず、ユミナが回復の杖を掲げる。淡い光が広がり、ユベロたちの傷を癒す。  剣士、騎士たちは皆、その剣をドラゴンキラーに持ち替えた。隙をついて、弓兵と 魔導師が後方から魔竜たちを攻撃する。次々と魔竜の姿が掻き消える。だがすぐに、 新しくニーナが召喚した魔竜が、また姿を現す。 第23章:悪夢 「ジーク将軍! 大変です! ローデシア軍が城門を突破しました!」 外の様子を監視していたリカードが駆け込んで来る。 「挟み討ちだな…。まずいぞ、これは…。」 「ジーク殿、ローデシア軍はわしに任せなさい。」 「グスタフ陛下! おやめください。殺されに行くようなものではありませんか!」 「ローデシアの者が、わしの首を取って満足するならそれでもよい。少しは時間稼ぎ  になるだろう。だが、約束してくれ。その間に確かにあの女…、ニーナを倒すと。」 「陛下…、私もお供します。私は、ローデシアともメラネーロとも関係のない、リゲ  ル王国の騎士。私の話なら彼らも聞き入れてくれましょう。陛下は皇太子殿下に幽  閉されていた。そして、皇太子殿下は陛下ご自身の手で罰された。そう話してみま  しょう。」 「…あの、頭に血の上った連中が、貴殿の話を聞いてくれるかどうか…。危険だぞ。」 「陛下お一人を危険に晒すわけには参りません。それにいずれにせよ、まだかなりの  時間を稼がねばなりませんし…。リカード、お前はマルス様の所に行け。少しは剣  が使えるのだろう?」 そう言って、ジークはリカードにドラゴンキラーを渡す。 「…でも、ジーク将軍…。おいらこんな物、使ったことありません…。」 「なに、鉄の剣と同じだ。多少重いかもしれないが、すぐ慣れる。どうか、マルスの  力になってくれ。」 「ジークよ。わしも行くぞよ。」 「アイリーン様…。」 「あの者たちが、わしの顔すら見間違うようなら、わしも止めぬ。奴らを好きなよう  にするがよい。それより、ぐずぐずしておる暇はなかろう。…マルス王のことなら  心配要らぬ。…たぶん、な。」  兵士たちの顔に疲労の色が浮かび始めた。ユベロと目が合ったユミナが、泣き出し そうな声で言う。 「回復の…、リザーブの杖が…。」 「どうしたの?」 「だめなの…、力を使い切ってしまったみたい…。」 「ユミナ! これを使って!」 エリスがユミナの手に、一本の杖を押しつける。 「アイリーン様がくださったの。リブローの杖だけど、ないよりはいいわ。」 「くそっ…、せめて、メリクルソードでもあれば…。」 サムトーが腹立たしげに言う。ニーナが冷ややかな笑みを浮かべる。 「いいえ。私を打ち破ることができるのは、ファルシオンだけ。…でも、ファルシオ  ンを使えるのはマルスただ一人。マルスに私は斬れないわ。」 「マルス様! お願いです! このままじゃ皆死んじゃう!」 シャモニーがマルスに向かって叫ぶ。だが、マルスは剣と盾を手に、ただ震えている。 「ニーナ様を斬るなんて…、できない…、だけど…。」 マルスの目の前で、仲間たちが次々と傷ついている。命を落とすのも時間の問題だ。 「マルス…、お前、お前の仲間がこんなに苦しんでいるのに、まだ平気なのか?」 「チェイニー…。僕は…、できない。僕には、できない…。」 「石を貸せ。早く!」 「石?」 「俺が前に渡した魔石だ。早く出せよ!」 「一体何を…?」 チェイニーは、マルスが取り出した魔石をひったくった。 「一生に一度の大芝居だ。マルス、よく見てろよ。」 言うが早いか、チェイニーは魔石を袋から取り出し、しっかりと握りしめた。その手 の中で、魔石が砕ける音がする。そして、チェイニーは、神竜になった。  次々と召喚される魔竜を、神竜になったチェイニーがなぎ倒していく。 「マルス、何をしている! チェイニーの変化が解けたら、もう二度と勝機はない!」 ナバールが怒鳴りつける。 「…ニーナ様、お願いです。目を覚ましてください! あなたは悪い夢を見ている。  どうか…。」 「悪い夢? そうね、生まれてからずっと、悪い夢を見続けてきたわ…。上辺だけの  忠誠…、上辺だけの愛…。もうたくさん! 皆、消えてしまうがいい…!」  城が崩れ落ちる。城門でジークたちと押し問答をしていたローデシア兵が、慌てふ ためいて逃げ出す。ジークがアイリーンとグスタフをかばう。ジークが叫ぶ。 「大丈夫ですか!?」 「ジーク殿…、あれを…。」 グスタフが指さす先には、巨大な竜の姿があった。 「あれが…、あれがニーナなのか…?」 第24章:別離  マルスは瓦礫の山に叩きつけられ、意識を失っていた。短い夢の中に、父と母の顔 が浮かぶ。そして、姉エリスの顔が。姉上を助けなければ…。エリスの顔がニーナの 顔に変わる。あれは本当にニーナ様だったのだろうか? …そうだ、これは夢なんだ。 目を覚ませば、またいつものような朝で、僕はアリティアにいる。アリティア…、懐 かしい故郷。そして、大切な仲間たち。カインやアベルは元気だろうか。レイシアは アリティアに帰って来ただろうか。シーダは…? 「皆、消えてしまうがいい…!」  マルスの耳にニーナの声が蘇る。それと同時に、マルスは目を覚ました。ここはど こだ…? 「シーダ様! もうしばらくの辛抱です。…ユミナ様! エリス様! 誰か、誰か回  復の術を…!」 「イシュター! 私はここよ。でも、動けないの…。」 「ユミナ様! 今助けに行きます!」 「ニーナは…?」 「チェイニーが、なんとか…。」  慌ただしい声がマルスの耳に届く。…夢ではなかった。マルスはゆっくりと体を起 こした。その時初めて、自分がファルシオンと封印の盾を手放していなかったことに 気付いた。  魔竜と神竜が戦っている。その足元に、傷ついた人々が横たわっている。  ジークが瓦礫の山をよじ登り、マルスのもとに駆けつける。 「あの竜…、あれがニーナ姫なのか?」 「…いいえ、そんなはずがありません…。あれはニーナ様の姿を借りた魔竜…。」 「マルス、まだそんなことを言っているのか!? 俺の力ももう限界だ。もうすぐ俺  は人間の姿に戻る。そうなったらもう、お前たちを守ってやれない。」 チェイニーの声が、マルスの意識の中に直接響いてくる。  マルスは辺りを見回した。瓦礫の下敷きになったシーダの顔色が、青ざめていく。 イシュターが苛々した声で叫ぶ。 「回復の術を早く!」 「せかさないで下さい! こっちだって…。」 「ねえ、エリス様は? アイリーン様は?」 「わしはここにおるぞ。じゃが、杖はお前たちに全部渡してしまったではないか。」 「私は大丈夫だから、誰か、杖を、リブローの杖を探してよ。この近くにあるはずな  の。」 「エリス様! しっかり!」 「エリス様が見つかったのか!?」 「こっちだ! 気を失っているんだ!」 「ユミナ様、ほんとにあるんですか? 回復の杖なんかありませんよ。…ハマーンの  杖なんて、ユミナ様には使えないでしょう? なんでこんな物持ってたんですか?」 「リカード、他にはどんな杖があるの?」 「あとは…これはなんだろう? 見たことないな。…こいつはワープの杖だ。」 「ワープの杖!? それよ、それをちょうだい!」 「えっ? でも、ユミナ様、一体何に使うんですか?」 「マルス様…。お願いです。エリス様を、シーダ様を助けてあげて下さい。」 「ユミナ…。」 「私たち、もうマルス様に頼るしかないんです。…どうか、お願いです。お願いしま  す。」  ニーナが吐いた炎がチェイニーの体をかすめ、エリスの方へと飛ぶ。とっさにシャ モニーが、冷気の魔法で炎を弾く。二度目の炎は、チェイニーが体で受け止める。 チェイニーの体から、皮膚の焼ける嫌な臭いが立ち上る。ユミナの目に、涙が光る。 「マルス様! お願いします!」  マルスはゆっくりと、だが、しっかりとした足どりでユミナの側まで行く。ユミナ は瓦礫に体を埋もれさせたまま、ワープの杖を使う。マルスの体が消える。次の瞬間、 マルスはニーナとチェイニーの間に立っていた。 「ニーナ様…、まさか、この僕が、あなたに剣を振るうとは…。」 「あなたに、私は斬れない。斬れるはずがないわ…。」  ニーナの声が聞こえたような気がした。マルスはまっすぐにニーナの目を見つめた。 魔竜の目…。だがその目は、他の竜とは、どこか違う。  マルスは迷いを振り切るように、剣を振り上げた。そして、竜の胸の辺りに狙いを 定め、一息に斬りつける。  魔竜の叫びが轟く。チェイニーの変化が解ける。それと同時に、ニーナの変化も解 けていく。 「…やっぱり、運命は変えられなかったのね…。マルス…、私は知っていたのよ…。  私は、あなたの剣で倒れる、と…。でも、私は、その運命を変えるつもりだった…。  でも、変えられなかった…。」 「運命を変えるのはたやすいことじゃ…。その方法さえ誤らなければな…。」 「アイリーン司祭…。あなたは…。」 「つまらぬことを尋くな。…お前さんの母が待っておるのじゃろう? さあ、行って  おやり…。」