序章:書簡  あの英雄戦争から3年。アカネイア大陸はゆっくりと、だが着実に再建への道程を 歩み始めていた。  アカネイア聖王国は、王家最後の生き残りであったニーナが行方不明となり、暫定 的に、アリティア、グルニア、マケドニアの共同統治下に置かれた。だが実質的な国 の指導者は、スナイパーのジョルジュが率いる自由騎士団であった。  そして、もともと自治都市であったカダインは、若き最高司祭エルレーンのもと、 魔導の聖域としてますます栄えていた。  マルス王率いるアリティアは、隣国グラを併合。グラの国民もアリティアの一員と して、平和な暮らしを約束された。そして、王女シーダがアリティア王妃となったタ リスもまた、アリティアの一地方として、往時の勢いを取り戻しつつあった。  グルニアでは、暗黒戦争の中で死んだ国王の忘れがたみ、ユベロ王子が正式に王位 に就き、新生グルニア王国として国をあげて国家の再建に取り組んでいた。そしてユ ベロの双子の姉、ユミナ王女は、王族の地位を捨て2年間かけてアカネイア大陸全土 を伝道のために回り、今はエルレーンの許しを得て、グルニアにほど近いラーマン神 殿に住み込み、主に貧しい者、学のない者たちに神の教えを施す神学校を開いていた。  マケドニアでは、勇者アイオテの末裔、王女ミネルバが王位を退き、彼女の命を受 けた白騎士団の天空騎士パオラが王位に就いた。そして、パオラの妹カチュアとエス トも、パオラを助け、マケドニア国民のために働いていた。  一方オレルアンでは他の国々とは違う動きがあった。王家の血筋を失ったオレルア ンはついに王制を捨て、後に民主制と呼ばれるようになる新しい国のありかたを模索 していた。そして、活力の旺盛な国民性が幸いし、その試みは成功しつつあった。初 代首相には、元騎士団参謀のマローニ陸軍大尉が選ばれた。政治家としての才にも恵 まれていた彼は、まずまずの国民の支持を得て、新しい法律の制定、政治体制の確立 など、様々な成果を上げた。なにより特筆すべきは、国民皆兵制を取りながら、他国 への軍事介入をしないことを明言したことにある。これは、王国最後の王の弟である 第24代アカネイア国王ハーディンが英雄戦争を引き起こしたことに対する、反省の 証と言われている。  こうして人々の心から、あの悲劇的な時代の記憶が薄れ始めた頃、アリティアで一 つの喜ばしい出来事があった。国王マルスと王妃シーダの間に、一人の女の子が産ま れたのだ。アリティアの国民はもとより、アカネイア大陸の全ての人々が、王女の誕 生を祝い、あちこちで祝宴が開かれ、それから3ヶ月もの間、アリティア城には祝福 の使者が絶えなかったと言う。王女はレイシアと名付けられ、彼女の養育のため宮廷 女官の中から、自ら二人の子どもを育て上げたミルフォアが乳母として、シーダとレ イシアの側に付くこととなった。  そんなある日、マルス王のもとに、差出人不明の一通の書状が届けられる。 「元アカネイア王妃にして、アカネイア王家の血を引く最後の娘、ニーナは預かった。  返してほしくば、マルス王が自ら神剣ファルシオンを持ち、速やかにラーマン神殿  に来るべし。この命に従わなければ、ニーナの命は保証しない。」  ニーナ様を救わなければ…。マルスは手紙の主の真意を計りかねながらも、ファル シオンを手にラーマン神殿に赴いた。だがマルスは、彼を待ち受ける過酷な運命を、 まだ知る由もなかった。 第1章:聖女  ラーマン神殿に向かうマルスの胸の中で、幾つもの疑問が沸き上がっている。なぜ 手紙の主は、わざわざマルスをラーマン神殿にまで呼び出すのか。ラーマン神殿には、 ファルシオンとともに神がこの世に残したという「封印の盾」が奉られている。だが、 封印の盾を手に入れるつもりだとしても、わざわざマルスをラーマン神殿に向かわせ る必要はない。マルスにファルシオンと封印の盾を持たせて、どこか他の場所に呼び 出せばよいのだ。まさか、第二の人質として、ラーマン神殿にいるはずのユミナを捕 らえているのではないか。 「いや、大丈夫。ユミナにはロコがついている。」 マルスは、自分に言い聞かせるように呟く。  ロコは、ユミナを一目見た瞬間恋に落ち、栄誉あるアリティア騎士団の地位を捨て、 ユミナを守るために自分の人生を捧げたペガサスナイトである。もっとも、ユミナの ほうは父なる神に身も心も捧げた聖女。ロコの気持ちに気付いているのかいないのか、 いずれにしても、その心に応える様子はない。それでもなお、ユミナの側を離れよう としないロコは、健気であるとともにまた哀れでもある。マルスの胸の中に、一抹の 不安がよぎる。まさか、ロコに何かあったのではないだろうか。  マルスは万一のことを考え、騎士団から数名の兵士を従えて来ている。その一人、 宮廷騎士団のアーチャー、ライアンが心配そうに声をかける。 「マルス様、どうかなさいましたか?」 「あ…。いや、なんでもない。少し考えごとをしていただけだ。」 マルスは、彼らに胸の中の不安を気取られないよう、無理に明るい表情を作る。  ラーマン神殿は扉が開け放たれ、盗賊がたむろしている。マルスの顔色が変わる。 「封印の盾を…。いや、盾は後でも取り返せる。ユミナだ。それから、ロコだ。ロコ  とユミナが無事かどうか調べてくれ。急いで!」  一行は盗賊を蹴散らし、神殿の中に進撃する。いるのはただの盗賊ばかり。あの手 紙を送りつけて来たらしい者はいない。マルスは封印の盾があるはずの祭壇を探し、 絶句する。盾がない。盗賊に奪われたのか、それとも…。  一方アーマーナイトのガルダスは、神殿の部屋を片端から調べていたが、その中で 一つだけ鍵がかかっている扉があるのに気付く。一瞬ためらったが、ガルダスはその 扉を蹴破る。 「これは…。おい、しっかりしろ!」  ガルダスの声が神殿に響く。マルスも我に返り、声のしたほうへと走る。ガルダス の腕の中で、ユミナが気を失っている。ソシアルナイトのアンドリューが、手持ちの 気付け薬を飲ませようとする。だが、なかなか口の中に入らない。苛立ったガルダス がユミナの頬を叩く。気付け薬のせいか、叩かれたせいかは分からないが、ようやく ユミナは目を開いた。 「ユミナ…。ひどい…。誰がこんなことを…。」 「あ…。マルス様?」  ユミナは顔と腕に、鞭で叩かれた跡のような傷を負っている。ユミナはマルスの顔 を認めると、いたずらっぽい微笑みを顔に浮かべた。 「封印の盾なら大丈夫。隠しておきました。」 「ロコは? ロコがいたのに、こんな目に…?」 「ロコに頼んで、隠してもらったんです。だから、ここには私一人。大丈夫。隠し場  所は私しか知らないから、盗賊たちも私を殺すわけにはいかないでしょう。それよ  りも、どうして封印の盾を隠したのか、知りたくないのですか?」 「ああ…、そういえばそうだ。」 「リカードが教えてくれたんです。たぶん、あの盗賊団の一味になっていたんだと思  います。とても慌てていて、封印の盾が狙われているから早く隠せ、とだけ言って、  またどこかに行ってしまったから、詳しいことは分からないけれど。それで、ロコ  に頼んで、封印の盾を持って飛竜の谷に隠れてもらったんです。」 「そうか。それじゃ早くロコを迎えに行こう。一人では心細いだろう。早く合流した  ほうがいい。それにロコもきっと、ユミナのことを心配しているよ。」 「でも私、リカードも心配だわ。だって、仲間を裏切ったことになるんでしょう?  ばれたら、きっとひどい目に遭うわ。なんとか助けてあげられないかしら。」 「ユミナ、たまには自分の心配をするんだ。」 マルスが諭すように言う。それから、ふと思いついて尋ねる。 「そういえば、ここに、盗賊以外に妙な人が現れなかったか?」 「…いいえ、気がつきませんでしたけど?」 「僕をここに呼び出した人がいるんだ。」 「さあ…。そういう感じの人は来ませんでした。」 第2章:逃走  マルスたちはユミナに導かれ、ラーマン神殿から舟でマケドニアに向かう。飛竜の 谷はマケドニアのすぐ北だ。一行はマケドニアの郊外を、飛竜の谷に向かって進軍し ている。その、向かっていく方角が何やら騒がしい。マルスたちは警戒しつつ、その 方角へと向かう。  遥か彼方から、若い男が血相を変えて走って来る。それを追いかけているのも、や はりまた若い男たちだ。 「あれは…、リカードじゃないか!?」  逃げているのは、先の2度にわたる戦争の中、何かとアリティア軍に力を貸してく れた盗賊のリカードだった。そして彼を追うのは、おそらくはラーマン神殿を襲った 盗賊たちだろう。 「リカードを逃がすんだ!」  マルスが先頭を切って飛び出す。アンドリューと、アリティア騎士団きっての女騎 士、キャサリンが続く。  リカードがマルスたちに気付く。間一髪追手から逃れ、一行の中に飛び込む。追っ て来た盗賊たちは、思わぬ援軍に驚きながらも、なおもリカードを追おうとする。 「畜生! 裏切り者! ぶっ殺してやる!」  マルスたちは、リカードを守るため追手を迎撃、全滅させた。ようやく静かになっ た山道で、リカードはぽつりぽつりと話し始める。 「ほんとにすいません。また助けてもらっちゃって…。」 「いや、いいんだ。それより、封印の盾のことは…?」 「ボスが殺られたんです。代わりに、見たこともないような奴がボスになって、おい  らたちに封印の盾を取って来い、って。…でも、あれは絶対に取っちゃいけないっ  て、おいら、この前の戦争の時に分かってたから…。でもボスには逆らえないし…。  で、ユミナ様に言えば、なんとかしてもらえるかな、と思ったんです。」 「それで、ラーマン神殿に?」 「おいら、もう、あんな奴の下で働くなんてまっぴらだと思って、そのまま逃げ出し  たんです。でも、見つかっちまって…。もう駄目だと思ったけど、誰かが来るのが  見えて、ひょっとしたら助かるかな、と思ったら、マルス様だもんな…。やっぱり、  おいら、ついてるんだ。」 ユミナがにっこりと笑って言う。 「神様が守ってくださったのよ。」 「そうかもしれないな。おいら、神様なんか信じてなかったけど、今日から信じるこ  とにしよう。」 「とにかく、まだ安心はできない。一緒に来ないか? これから飛竜の谷に行くとこ  ろなんだ。」 マルスに誘われ、リカードは怪訝そうな顔をする。 「飛竜の谷? そりゃまたずいぶん、酔狂な所に。」 「封印の盾があるんだ。」 「ははーん、そういうことですか。ユミナ様、ちゃんと隠してくれたんですね。」 「ええ。リカードのおかげよ。でも、また狙われるかもしれない。だからマルス様に  持っていてもらおうと思って。」 「そうですね。そのほうが安心ですよね。なにしろマルス様には、アリティアの強い  騎士団がついているし。」  アンドリューが、少し得意気な表情をする。それを横目で見て、キャサリンが鼻で 笑う。 「…あなた一人が褒められているわけじゃないのよ。」 だが彼女も、それを口に出すほど大人げなくはなかった。 第3章:前兆  飛竜の谷にほど近い山道を歩くマルスたち。ユミナが、自分の背丈ほどの低木をそ っとかき分けながら、道から少しはずれた小さな集落に向かう。 「ロコ。マルス様が来てくださったわ。」 ユミナは、その集落の中でもはずれのほうにある、小屋のような家に向かって呼び掛 ける。だが、中はシンとしている。ユミナの顔に不安そうな表情が広がる。 「出かけてるんじゃないの?」 リカードが軽い口調で言う。 「そんなことないと思います…。出かけるような用事はないと思うし…。あ、ちょっ  と待っていてください。村の人に聞いてきますね。」  ユミナが集落のほうに向かう。マルスたちは、行き違いになっては、とその場に残 ることにした。  しばらくしてユミナが戻って来る。だが、その顔はわずかに青ざめている。 「どうした?」 「最近、誰もロコを見ていないそうです。」 「最近ったって、おいらが神殿に行ったのだって最近だぜ。初めから来てなかった、  なんていうのは、なしにしてくれよ。」 「あれは10日くらい前ですよね。その夜のうちにロコはここに来たはずなんです。  皆も、その頃に来たのは知っているって…。でも、3日くらいか、もう少し前から  誰も見てなくて、皆も心配しているって…。」 話しながら、ユミナの声が涙声になる。あわてて話を遮るマルス。 「分かった。たぶん、何か良くないことが起きたんだ。それでロコは別な場所に行っ  たんだよ。」 「でも、それならユミナ様に一言くらい言ってかないかなあ。」 「言いに行く暇もなかったんだろう。」 「もしかすると…。」 「なんだ?」 「あ、いや、独り言ですよ。マルス様、一々気にしてると、長生きできませんって。」 「…いやあっ!」 「ユミナ、どうしたんだ!?」 ユミナが顔を覆い、しゃがみこむ。マルスが膝をつき、その肩を抱く。ユミナは震え ている。 「大丈夫、ロコのことなら心配要らない。僕たちが必ず探し出す。」 「私が…、私があんなことを頼まなければ…。ロコ…。神様…。」 「落ち着いて。そうだ、村の人に頼んで、少し休ませてもらおう。何か温かいもので  も飲めば、きっと元気になるよ。」  マルスが引きずるように、ユミナを村につれていく。  一行は村の食料品店の片隅で、店の主からお茶をご馳走になっていた。ユミナも少 し落ち着きを取り戻してきたようだ。主が、ユミナを励ますように話している。 「俺は、騎士団で一番強いのは、なんてったって天空騎士だと思うよ。なにしろ危な  くなったら、すぐに空に逃げられるしな。だから、あの、ロコとかいう奴も、絶対  大丈夫だって。」  ふと、急に外が騒がしくなる。怪訝そうに振り返るマルスたちの前に、アリティア 王妃、元ペガサスナイトのシーダが現れる。 「シーダ!? 一体どうしたんだ? それに、どうしてここが?」」 「ラーマン神殿の近くに住んでいる人に尋いたの…。…良かった、無事だったのね。」 「僕たちは大丈夫だ。それより、一体何が?」 「グルニアが襲われているの。ローデシアという国から、突然軍隊がやって来てグル  ニアを…。」 「ローデシア? あの、東の大陸の? 今まで少しもアカネイア大陸とは交流がなか  ったのに、どうして急に…?」 「それが、分からないの。アカネイアやマケドニアから、増援部隊を出しています。  アリティアからも、騎士団を…。ごめんなさい、勝手なことをして…。それで、報  告だけでも、と思って…。」 「いや。当然のことだ。同じアカネイア大陸の国が襲われたんだ。アリティアからも  できるだけ多くの兵を出そう。」 「ええ。どの国もたくさんの増援部隊を出してくれました。でも…、敵の数が多すぎ  て、とても苦戦しているらしいの。」 「…ユミナ、すまない。ロコを探しに行くのは後にしよう。今は、グルニア防衛のほ  うが大事だ。」 「はい…。ユベロやジャックが心配です。私も行きます。」 第4章:再会  マルスたちはグルニアに急行する。途中の山道で、思いがけない顔を見つける。グ ルニア王国国王、ユミナの双子の弟、ユベロである。 「ユベロ! ユベロ! 大丈夫!?」 「ユミナ…。グルニアが…。」  ユベロは、まだ事態が飲み込めない、という呆然とした顔で近付いてくる。マルス が駆け寄る。 「ユベロ…。良かった。無事だったんだね。」 「マルス王子! …じゃなかった、アリティア国王殿ではないですか!」  この緊迫した場面に不似合いな、明るい声が響く。傭兵のサムトーだ。その脇には、 グルニア防衛軍のイシュターもいる。 「サムトー! グルニア傭兵団を抜けた、って聞いたけど…?」 「まあ、色々ありましてね。ちょっと今話しているわけにもいかないでしょう。ほら、  おいでなさった。」  グルニアの方から、ユベロを追って兵士たちが駆けて来る。 「ここは僕たちが足止めを食わせてますから、マルス様はユベロ様をつれて、あの、  北の山のてっぺんに行ってください。後で追いつきますから。」 「マルス様。僕たちに参戦のお許しをください。」 ライアンが、まっすぐマルスの目を見て言う。 「…分かった。僕はユベロを守らなくてはならない。山の上で待っている。必ず来て  くれ。いいね。」  不安な時間が流れ、日が暮れ始める頃、ようやくサムトーたちがやって来る。 「どうだった?」 「アリティア軍の皆さんのおかげで、追手は全滅です。」 「それは良かった。ところで、さっきの話なんだけど…。」 サムトーが頭を掻きながら言う。 「いやあ、僕は根っからいい加減なもんで、ああいう格式張った軍隊っていうのは苦  手なんですよ。それで、辞めたんですけどね。でもまあ、今回はたまたまグルニア  で仕事を見つけたんで、グルニアにいたわけですよ。そしたら、わけの分からない  軍隊が突然お城を襲いに来たじゃないですか。もう、びっくりしたのなんの…。こ  いつはユベロ様だけでも逃がさなきゃってんで、お城に乗り込んだんです。中も結  構危なかったんですけれどね。こいつがユベロ様を守ってくれていて…。いや、良  かったですよ、間に合って。」 そう言って、イシュターを指さす。 「そうか、良かった、ほんとうに良かった…。」 「良くありません。」  ユベロが、うつ向きながらもきっぱりと言う。 「僕だけ逃げて…。他の人たちがどうなったのか、全然分からないんです。」 「騎士団は? ジャックはどうしてるの?」 ユミナの問いかけに、ユベロは首を振る。無言のままのユベロに代わり、イシュター が口を開く。 「こういう時のために、俺たちがいるのに…。防衛軍で生き残ったのは俺だけだ。騎  士団も…。たぶん、全滅…。」 息を飲むマルスたち。ライアンが問いかける。 「増援部隊が来ただろう? それでも駄目だったのか?」 「あんな、時々少しずつ来るような軍隊じゃどうしようもないよ。相手はものすごく  強くて、数も多いんだ。」 「そうか…。」 「それから…。奴ら、本当の狙いは、グルニアじゃないらしい。」 「えっ? どういうこと?」 「グルニアを占領して、それを足がかりにして、アカネイアパレスを落とすつもりな  んだ。だから、ここでぐずぐずしているわけにはいかないんだ。早くパレスに行か  なくちゃ…。アカネイア自由騎士団の連中も、グルニアに大勢来てたみたいだから、  今襲われたらひとたまりもないよ。」 言葉を失う一行。ユベロが悲痛な表情を浮かべる。 「グルニアを取り返すのは、後でも構いません。だから、今は、パレスを守ってくだ  さい。」 第5章:陥落  アカネイア大陸には、それぞれ独立した国家が四つ、自治都市が二つあるが、その 全てが、マルスを盟主とするアカネイア連合王国を形成している。その連合王国の象 徴が、アカネイアパレスなのだ。だからどうしても、パレスだけは敵の手に渡すわけ にはいかない。マルスたちは黙々と、一路パレスへと急ぐ。  パレスの北側は山になっており、大部隊を配備する余地はない。たとえパレスが既 に敵軍に包囲されていたとしても、北側なら突破できるだろう。そう判断したマルス は、夜のうちに北の山の中腹に自軍を待機させる。そして翌朝、夜が明けるか明けな いかの頃、一気に北の砦に襲いかかる。  懸念していた通り、既にローデシア軍はパレスを包囲していた。だが、不意をつか れた敵軍は、防戦するのがやっとである。  その激しい戦いの中、不意にサムトーは背後に敵の気配を感じ、振り返る。 「…!? お前、一体…?」 「子どもだと思ってなめるなよ!」 それは、不似合いなほど大きなローブを纏った若い魔導師。確かにその声は、まだ子 どもの声だった。たじろぐサムトー。魔導師の広げた右手から、雷撃が放たれる。そ の直後、急降下してきたシーダの槍が、魔導師の肩を直撃する。  どのくらい眠っていたのだろう。ふと目を開くと、姉ほどの年頃の、美しい女性が 自分を見つめていた。彼女はほっとしたような、それでいて悲しげな瞳をしていた。 その隣には、彼女とよく似た男がいた。この人も魔導師だ。なんとなく、そんな気が する。女の人は、シスターかもしれない。肩が痛い。この人が助けてくれたのだろう か。そういえば「あの時」、ペガサスに乗った人が、僕を刺したんだ。そう、それか らずっと、眠っていたんだ。 「まだ痛むかい?」 男の人が尋ねた。僕は小さくうなずいた。男の人は顔を少ししかめて、女の人の方を 見た。女の人が小さな声で話しかけてきた。 「傷はそんなに深くないわ。シーダ様は手加減をしたのね。」  シーダ…。あの、ペガサスの人はシーダというのか。どこかで聞いたような名前だ けれど、思い出せない。 「…どうして助けてくれたの?」 僕は、まだはっきりとしない意識の中で尋ねた。女の人が、答を求めるような顔で男 の人の方を見た。男の人は、逆に僕に尋ねてきた。とても静かな声だった。 「どうしてグルニアを襲った? どうしてパレスを襲おうとした?」 「えっ? …分からない。…グルニアってどこ? パレスは?」 「あなた、何も知らないで戦っていたの?」 「陛下の命令だったんだ。…僕は、早く手柄を立てて、偉くなりたかったんだ…。」 「戦って偉くなろうなんて…。人を殺して偉くなって、誰が喜ぶの?」 女の人が、話しながら下を向く。涙が落ちたのが分かった。 「人と人が傷つけ合うのは、とても悲しいこと。まして、今のローデシアのように、  理由もなしに他の国に攻め込んで、何も罪のない人たちを殺すなんて…。」 「違う! 陛下には理由があるんだ。僕には分からないけど…。」 「僕はグルニア国王、ユベロ。で、僕の姉さんのユミナ。僕らは双子だから、妹かも  しれないけど。」 ユベロ、と名乗った男の人が、そう言って笑った。でも、すぐに真顔になって話を続 けた。 「グルニアでは多くの人がローデシア軍に殺された。でも、僕には今でもその理由が  分からない。突然軍隊が襲いかかってきて、僕の国は滅茶苦茶にされた。もし知っ  ているなら、その理由を聞かせてくれないか?」 「僕は知らない。何も教えてもらわなかった。」  ユベロとユミナは黙りこんでしまった。僕も、何を話したらいいのか分からなくて 黙っていた。しばらくして、ユミナが尋ねた。 「ところで、あなたの名前は?」 「シャモニー。大叔母様がつけてくれたんだ。」 「そう。いい名前ね。」 僕は、少し嬉しかった。でも、大叔母様のことを思い出すとまた少し悲しくなった。 帰りたい。早く大叔母様の所に帰りたい。戦争になんか来るんじゃなかった。 「ローデシアにいた頃は、戦争なんてなかったんだ。こんな恐いなんて知らなかった  …。知ってたら来なかった…。」  堰を切ったように、シャモニーが泣き出す。慌ててユミナがその手を握る。 「ごめんね…。泣かないで。私たち、もう何度も戦争で悲しい思いをしてきたの。だ  から…。あなたを責めているわけじゃないのよ。」 「ごめん。言いすぎたよ。グルニアが襲われて、僕も何がなんだか分からなくなって  いるんだ。君は悪くないんだ。だから、もう泣かないで。」  だがシャモニーは、慰められれば慰められるほど、激しく泣き出した。途方にくれ るユベロとユミナ。そこへ、イシュターがやって来る。その顔は呆然として、目は虚 ろだった。ユベロは、その顔つきですべてを察した。 「イシュター…、まさか…。」 「畜生…。もう一息だったのに…。」  泣き続けていたシャモニーが、ユミナに掴まりながら体を起こし、しゃくりあげな がらパレスの方を見る。その視線の先には、見慣れたローデシアの国旗が揺れている。 だが、それは今、なんと汚らわしく見えることか。 「僕は…、僕は…、もう嫌だ。もう軍隊には帰らない。帰りたくないよ!」 ユミナが静かに言う。 「そう…。でも、これからどうするの?」 「それは…。」 「あなたさえよければ、私たちと一緒に旅ができるよう、マルス様に頼んでみるわ。  そうして、戦争が終わったらローデシアに帰ればいい。」 「でも…。僕はローデシア軍だったから…。きっと皆、嫌がる…。」 「聞いてみないと分からないわ。」 不安そうな表情のシャモニーを、ユミナが抱きしめる。 第6章:使者  マルスたちは、パレスを目の前にしながら撤退を強いられた。呆然とした表情のマ ルスのもとに、ユミナがすっと歩み寄り、シャモニーのことを話す。気色ばむ一行。 だが、ユベロの側で子猫のように震えているシャモニーを見ると、誰も、止めを刺せ とは言えなかった。 「こんな子どもまで兵に採るなんて…。」 マルスも、そう言うのがやっとだった。 「シャモニー、というそうだね。君はローデシアから投降してきた兵として扱おう。  僕らは君を傷つけない。約束する。でも、この戦いが終わるまで祖国に帰すわけに  はいかない。戦争が終わったら帰っていいよ。それまで辛抱して、僕らのために働  いて欲しい。」 シャモニーが黙ったままうなずく。ユベロが、よかったな、とでも言うように、その 頭を軽く叩く。  その時、上空に何かの気配を感じた。見上げるマルスの視界に一匹の飛竜が映る。 ライアンが弓を構える。マルスはその手を押し止める。 「待て。攻撃してくる気配がない。偵察か、あるいはどこかの使者かもしれない。」  一度は去って行った飛竜だが、方向を変えると、まっすぐにマルスたちの方に向か い高度を下げ始めた。身構える一行。シーダが声を上げる。 「だめ! 撃たないで! ミネルバさんだわ!」  元マケドニア国王のミネルバは、先の英雄戦争の後王位を放棄し、一人の女性とし て新たな人生を歩み始めていた。一度は武器を、飛竜を捨てた彼女が、かつて「赤き 竜騎士」との異名をとった頃の姿そのままに、今、マルスのもとに現れた。一体なぜ? いぶかしむマルスの前に、飛竜から降りたミネルバが歩み寄る。 「マルス様、探しましたよ。シーダ様も。」 「ミネルバさん、どうしたんですか? 何かあったのですか?」 「アリティアが襲撃されています。やはりローデシア軍です。」 マルスの顔から血の気が引く。 「皆は…、カインやアベルは?」 「城は宮廷騎士団が懸命に守っています。町の人たちは、戦火に巻き込まれないよう、  アベルがオレルアンに避難させています。レイシア王女もその列に紛れて逃げたは  ずです。まだしばらくは大丈夫。でもそろそろ、グルニアやパレスを攻めていた部  隊が、アリティアにも来るでしょう。」 「分かった。すぐに戻ります。」 「いえ、今は無理です。城は包囲されています。あの大群をかいくぐって城に辿り着  くのは、たとえマルス様をもってしても、危険すぎます。」 「でも…、それならどうすれば…。」 「妹のマリアとも相談したのですが、エリス様にお願いして、メラネーロから援軍を  出していただくのが一番かと。でも、私の一存でそのような出すぎたまねはできま  せん。マルス様のご判断を仰がなくては、と思い、探していたのです。」 「確かに…。姉上の手を煩わすのは気が進まないが、それ以外に方法はないな。ミネ  ルバさん、今、使者の証として、手紙を書くから待っていてください。」  マルスは姉エリスと、その夫、メラネーロ帝国皇太子リルナールに宛て、アカネイ ア大陸の窮状を訴え、支援を求める旨の書状をしたためた。 「では、確かにお預かりしました。吉報をお待ちください。」 マルスの書状を胸に、ミネルバは一路メラネーロ帝国へ向かう。 第7章:剣士  メラネーロ軍が派遣されるまでは、マルスたちに勝ち目はない。それは誰の目にも 明らかだった。今やるべきことは、援軍が到着するまでの間、なんとかして生き延び ることだけだった。  だが、そうは言っても、気にかかることはある。あの手紙、そして、ロコの行方。 「…ラーマン神殿に行こう。」 マルスの声に、サムトーが意外そうな顔で答える。 「ラーマン神殿? 何かあるんですか?」 マルスは、アリティアに届いた手紙の話をする。そして、言われたとおりに行ったに も関わらず、そこに手紙の主がいなかったことを話す。 「ひょっとすると、僕らのほうが先に着いてしまったのかもしれない。だとすれば、  手紙の主に会えるかもしれない。…思い過ごしかもしれないけれど、手紙の主はロー  デシアの者ではないか、と思うんだ。」  ラーマン神殿へ向かう道に、ローデシア軍の影はなかった。不気味なほどの静けさ に、マルスは不安になる。ローデシア軍の動きにはあまりにも無駄がなさすぎる。ま るでアカネイア大陸の隅々まで知り尽くしているかのようだ。もしかすると、内通者 がいるのかもしれない。だが、そのような裏切者がこの大陸にいるとは、考えたくな かった。マルスは無言のまま歩き続ける。 「誰かいるのか!?」  不意にイシュターの声が響く。その声に呼応するかのように、盗賊たちが木立から 飛び出てきた。訓練を受けた兵士ではない。戦争の混乱に紛れて人々から金を奪い取 る、ただの盗賊だ。だが、その中にいる剣士を見てマルスは凍り付く。大陸一の腕を 誇る、傭兵ナバールではないか。彼も、かつてはマルスと共に戦った仲間である。だ が彼には、義理も正義も関係ない。気の向くまま、その時々に金を出してくれる者を 主とする。味方になってくれればこれほど心強い仲間はないが、敵に回せば命の保証 はない。  ナバールはマルスには目もくれず、まっすぐサムトーに近付く。 「お前、また俺の名をかたっていたそうだな。」  サムトーはナバールと風貌が似ているのを利用して、ナバールになりすまし、荒稼 ぎをしていた時期があった。サムトーも十分腕の立つ剣士だが、その剣とて、さすが にナバールにははるかに及ばない。面識がない頃ならともかく、縁あって英雄戦争の 間、共にマルスのもとで働き、その腕の差を見せつけられた後もなお、ナバールのふ りをしていたのでは責められても仕方がない。 「ナバールさん…。そんな、昔の話を…。」  突然、ナバールがサムトーに斬りかかる。サムトーはそれを剣で受け、返す刃でナ バールに襲いかかった。だがそれより速く、ナバールはサムトーの背後を取る。 「…なぜ止めるんですか?」 「少しは腕を上げたのだな。」 「お褒めにあずかり、光栄ですよ。」 サムトーが苦笑する。それには構わず、ナバールは続ける。 「こんな少人数で、あのローデシア軍に立ち向かおうと言うのか? 相変わらず命知  らずな奴らだ。」 「あなたほどではないでしょう。」 「…そうかもしれないな。命が惜しくては剣士は務まらぬ。」 「同じ命知らず。手を貸していただくわけにはいきませんか?」 「いいだろう。お前の剣、もう少し見せてもらうとするか。」  ナバールが、一行を囲む盗賊をキッと睨みつける。それに気押されたか、盗賊たち は散り散りに逃げて行った。 第8章:王子  ラーマン神殿は、あの騒ぎが嘘のように静まりかえっていた。だが、閉めたはずの 扉が開いている。マルスたちは周囲に気を配りつつ、神殿の中に入る。  暗がりに目が慣れてきたマルスは、神殿の異変に気付いた。祭壇の奥にしつらえた 椅子に、誰かが座っている。 「誰だ?」 「人の名を問う時は、自分から名乗るものだ。まあいい。お前はアリティア国王、マ  ルスだな。」 「そうだ。私に手紙を送りつけてきたのは、あなたか?」 「いかにも。私はローデシア王国第一王子、ヴァルドル。」 「ニーナ様はどこだ?」 「心配するな。彼女は我々にとっても大切な客人。丁重にもてなしている。それより  も、封印の盾、とやらをどこに隠した?」 「あの盗賊たちは、あなたの差し金か?」 「ああ、そのことについては詫びねばならない。封印の盾の在処を探って来るよう命  じたのだが、先走って盾を奪い取ろうとしたそうだな。あげく、ここに住んでいた  シスターに失礼な振る舞いをしたと聞いている。彼には厳しく罰を与え、軍から追  放した。それで許していただけるか?」 「分からない…。あなたほどの紳士的な人が、突然我々の大陸を土足で踏みにじるよ  うに侵略するなんて…。」 「アカネイア大陸の歴史はたかだか600年。それまでは竜人族の世界だったそうだ  な。」 「ニーナ様に聞いたのか?」 「そのくらい、いくらでも調べようがある。竜人族からその地を奪ったお前たちに、  我々を責める資格があるのか?」 「だが、今では竜人族と人間とは、この大陸で平和に共存している。」 「ふん。それもほんの10年にも満たない年月ではないか。アカネイアの600年の  歴史の中で、どれほどの争いが起こり、どれほどの血が流れたのだ? 我がローデ  シアは、2000年の歴史を誇る王国だ。その2000年のほとんどが平和な時代  だったと言っても、お前たちには信じられんだろうな。」 「その平和な王国が、なぜ争いを起こす?」 「お前たちには関係ない。さあ、封印の盾の在処を話してもらおうか。」 「分からない。」 「なに?」 「ある者が持ったまま、姿を消した。我々も探しているところだ。」 「ふん。隠しているのではあるまいな。まあ、盾は後でゆっくり探すとするか。とり  あえず、ファルシオンだけでも渡してもらおう。」 「断る。これは、ニーナ様と引き替えでなければ渡せない。」 「…たかが小国の王が。渡さないと言うなら、力ずくで手に入れるまで。」  ヴァルドルが右手を上げる。それを合図に10名ほどの兵士が現れ、マルスたちを 取り囲む。出口も閉ざされた。 「くそっ…。どこに隠れていたんだ…。」  そう、初めからそういうつもりだったのだ。ヴァルドルはニーナを返すつもりなど なかった。それどころか、ファルシオンを手に入れた後マルスも殺すつもりだったの だ。出口を塞がれた狭い神殿内では、たとえこちらが数で勝っていたとしても、あら かじめ優位な位置を確保しているヴァルドルの手勢のほうが圧倒的に有利だ。 「王子様! やめてください!」 突然、甲高い声が響く。声の主はシャモニーだった。 「誰だ? …なんだ、まだ子どもではないか。子どもがこんな所に、何の用だ?」  シャモニーは少なからずショックを受けた。王子は自分の顔を覚えてくれていなかっ た。幼いながら魔導軍団の一員として、王家のために働いてきたことにシャモニーは 誇りを持っていた。だが、それは自己満足に過ぎなかったのか。少なくとも、王子は 自分の顔を知らないのだ。 「そんな…。」 シャモニーの様子にヴァルドルも不審な点を感じたらしく、じっとシャモニーを見つ めている。 「いや…、お前は確か…。」  ナバールはその隙を見逃さなかった。しなやかな体が剣と一体になり、ヴァルドル の頭上に舞い降りた。 「…素晴らしい腕だ…。この私を、たったの一撃で…。」 「ヴァルドル! ニーナ様はどこだ!? ニーナ様を返せ!」  マルスが叫ぶ。だが、ヴァルドルは二度と口を開かなかった。 第9章:天馬  ヴァルドルが息を引き取ると、周りにいた兵士たちもばらばらと去って行った。お そらく本国にこの事件の一部始終を報告するつもりだろう。ローデシアの、こともあ ろうに次の王となる第一王子を殺してしまった以上、アリティア対ローデシアの全面 戦争は避けられそうになかった。たとえそうなったとしても、メラネーロからの救援 さえ来れば、アリティア軍が優位に立てる。だが、その救援部隊が一向に現れない。 一体ミネルバは何をしているのか。あるいは、どこか途中でローデシア軍に見つかり、 捕らわれたのだろうか。マルスの不安は募る。  とにかく、手紙の主がこの世から消えてしまった今、もはやラーマン神殿に用はな くなった。だがどこへ行けばいいのか…。  今や頼れるのは、最高司祭エルレーンだけだった。彼ならば、その強大な魔力で何 かを探り出してくれるかもしれない。マルスたちはエルレーンに会うため、カダイン へと向かう。  カダインへの道すがら、前方からもの凄い勢いでペガサスが飛んで来るのが見える。 それは天空を駆けると言うよりも、むしろ、弾丸のように飛んで来る、と言った方が 正確と思われるほどの速度だった。 「ロコ…。ロコです! ロコのペガサスです…。」 ユミナが叫ぶ。その声が終わる頃にはもう既に、ロコはペガサスから飛び降り、ユミ ナに向かい走っていた。 「ユミナ様、ご無事でしたか?」 「…バカ!! どこに行ってたのよ! 心配したんだから…。」 「すみません…。」 「話は後だ。お前を追って来た奴らがいる。」 ナバールが顎でカダインの方角を指す。 「これを…。」 ロコが、風の魔法、シェイバーの魔導書をユベロに手渡す。 「どうしたんですか?」 「エルレーンさんに貰ったんです。追って来たのは天空騎士団のはず。シェイバーの  魔法なら、一網打尽にできるでしょう?」  ロコの言った通り、追手はペガサスナイトとドラゴンナイトばかりだった。ライア ンの放つ矢が、面白いように敵を撃ち落とす。ユベロも負けていない。他の兵士たち は、彼らが直接敵の攻撃に晒されないよう注意深く壁を築く。シャモニーが感心した ように言う。 「シェイバーの魔法って初めて見たけど、凄いんだね。」 「そう? ローデシアにはシェイバーの魔導書を作れる司祭様がいないのね。」 ユミナが答える。 「大叔母様なら、どんな魔法の魔導書でも作れるよ。でも滅多に作らない。他人に使  わせるのが嫌みたいだ。他人に渡すと、戦いのために使うから、って。」 ユミナはその言葉に、先の最高司祭、ウェンデル司祭の姿を思い浮かべた。 「そうね、そういう司祭様もいるわね…。」 寂しそうな表情で呟くユミナを、シャモニーが不思議そうに見つめている。  追手を壊滅させたマルスたちは、カダイン近くの森の中で野営の準備を始める。忙 しく立ち働く兵士たちから少し離れた場所では、ユミナがロコを問い詰めている。 「どこに行ってたの? 封印の盾は?」 「実はあの隠れ家に、よその国の兵士らしき人がやって来たんです。今にして思えば、  あの軍服はローデシア軍の物でした。そして、なぜペガサスナイトがこんな所に住  んでいるんだ、と詰問されて、とっさに答えられなかったんです。それで怪しまれ  て、連れて行かれそうになったもので…。とにかく封印の盾だけは守らなくちゃ、  と思って、奴らを振り払って、盾を持って逃げたんです。でも、そんなことがあっ  たもので、もうあの家には戻れなくなってしまったんです。」 「それで?」 「かと言って、ラーマン神殿に戻ったんじゃ意味がないし、散々悩んでカダイン神殿  に持って行くことにしたんです。エルレーンさんに事情を話して、預かってもらえ  ることになって、ラーマン神殿に戻ろうとしたら、もうローデシア軍が空を埋め尽  くすほどの大群でやって来ていて…。ユミナ様が心配で心配で、すぐにでもラーマ  ン神殿に戻るつもりだったのですが、今出て行ったら危険だ、とエルレーンさんに  引き留められていたんです。」 「カダイン神殿の方は大丈夫なのかい?」 今度はマルスが尋ねる。 「はい。エルレーンさんは、誰も神殿に出入りできないよう結界を張っています。無  理に入ろうとする者は、神の怒りの炎で焼き尽くされ、即死です。」 「それじゃ、ロコはどうやって出てきたんだ?」 「エルレーンさんは、ずっと透視で周りの状況を見ています。それで、マルス様が近  付いて来ているのに気が付いて、転移の術で送り出してくれたんです。だから、マ  ルス様がカダインに行っても、神殿には入れません。」 「えっ…。困ったな。エルレーンに相談したいことがあったんだ…。それに、もしで  きることなら、しばらく匿まってもらうつもりだったんだけど…。」 「でも、結界さえ解いてもらえば入れます。要するに、ローデシア軍が入って来ない  ようにしているわけですから、カダインを狙っているローデシア軍を全滅させれば、  エルレーンさんも安心して結界を解いてくれるはずです。」 「そうか…。そうだね。ということは、また一戦交えないといけないわけか…。明日  までに作戦を考えておくよ。ロコは疲れているだろう。今夜は早く休むといい。」 「はい…。ありがとうございます。」 第10章:聖域  綿密な計画のもと、マルスは左右にガルダスとアンドリューを従え、カダインへ向 かう。その後ろから、ライアンとユミナがついて来ている。上空ではロコがゆっくり とペガサスを走らせている。騎士団にしては貧弱な部隊だが、敵の策にはまり、祖国 に戻りそこねた部隊くらいには見えるだろう。  ロコを追った天空騎士団が帰ってこなかったということは、その先に敵がいること を示している。当然のように、ローデシア軍は全軍をラーマン神殿の側に向けて配備 していた。マルスは、ようやく互いの顔が判別できるくらいの所まで近付き、敵に向 かって声を張り上げる。 「私はアカネイア連合王国のマルス。お前たちの指揮官、ローデシア王国第一王子の  ヴァルドルは私が倒した。ローデシア軍はただちに、ここ、アカネイアから立ち去  れ!」  ローデシア兵の間にざわめきが広がる。様子から察するに、彼らはまだヴァルドル の死を知らされていないのだ。マルスは確信する。兵士は動揺している。これなら勝 てる。  近付くマルスたちに対して、ローデシア軍はなかなか攻撃をかけてこない。どうや ら、突然ヴァルドルの死を知らされ自分たちのとるべき行動を見失っているらしい。 マルスは困惑する。あまり敵の動きが遅れても困る。右手の森には、イシュターが率 いる部隊が、そして左手の山中には、シーダが率いる部隊が既に待機している。この ままマルスがローデシア軍に近付きすぎては、計画が台無しだ。マルスたちは、敵の 出方を探るように、じりじりと近付いて行く。 「ヴァルドル様の仇! 覚悟!」 ようやく、最前列の騎兵隊が、雄叫びをあげて突進して来る。それを機に、左右から アリティア軍が現れ、敵の本拠地を目指す。  作戦は予想以上の効果を上げた。敵軍は大混乱に陥り、その背後にあった結界の存 在は忘れられた。慌てふためいた兵士は、結界を侵し、自ら命を落としていく。それ を見た隊長が絶叫する。 「全軍退却! 全員、私の後に続け! 道を塞ぐ者は容赦するな!」  隊長自ら、マルスに向かって突進する。だがそれはマルスの命を狙ったのではなく、 自分たちの命を守るための必死の逃亡だった。マルスはユミナをかばいながら、シー ダの部隊に合流する。 「皆、無事か?」 「ええ、意外なくらい簡単だったわ。」 上空からシーダが答える。  マルスたちは敵兵に巻き込まれないよう、しばらくは結界の間近でじっとしていた。 ようやく敵の姿が消え砂煙が治まった頃、マルスに近付いて来る声が聞こえる。 「マルス様の作戦勝ちですね。」 反対側に逃げていたアンドリューだ。 「どうだ? そっちも無事か?」 「はい。危うく敵に押し潰されるところでしたが。」 「確かに、あんなにあっさりと逃げ出すとは思わなかったな。」 「ヴァルドル王子の死を知らなかったようですね。」 「うん。おかげで向こうは予想以上に動揺してくれた。」 「でも、あのラーマン神殿にいた兵士は、どうしてここの部隊にヴァルドル王子の死  を知らせなかったのでしょう?」 「よほど慌てていたのか…。いや、違うな。ヴァルドルがローデシア軍の総指揮官と  いうのは、僕のとっさの思いつきだったんだけど、図星だったみたいだ。だとする  と、その指令官が死んだとなれば、一時撤退するなりして今後の戦略について考え  直す必要もあるだろう。そうしたくなかったんだよ。だから、ヴァルドルの死はあ  えて伏せておいたんじゃないかな。」 「マルス様、お待ちしておりました。」  振り返ると、カダインの最高司祭、エルレーンが神殿から出て来るところだった。 「エルレーン…、えっ? チェイニーも!?」 エルレーンから少し遅れて出てきたのは、神竜族の生き残り、チェイニーだった。 「よお。マルス。久しぶりだな。」 「一体どうして…?」 「封印の盾がおかしなことに巻き込まれているみたいだったからな。あれがなくなる  と、俺たち竜族もお前たち人間も、滅びの日を待つしかない。それにしても、一体  何が起きたんだ?」 「分からない。とにかく、ローデシアという国が封印の盾とファルシオンを狙ってい  る。そのためにニーナ様をさらったんだ。」 「その命と引換に、封印の盾をよこせって言ってるのか。」 「そうなんだ。エルレーン、盾は…。」 「神殿の中です。こんな所にいてはいつまたローデシア軍が戻って来るか分かりませ  ん。ひとまず中へ。」 第11章:反撃 「よお、じじい。元気だったか?」 イシュターがチェイニーの肩を叩く。 「ちぇっ…、お前の口の悪いのは、死ぬまで直らねえんだなあ。」 「ふん、偉そうじゃんか。マルス様、こいつ、こんな若い格好してるけど、ほんとう  はすげえ年寄りなんですよ。」 「…まあ、チェイニーは神竜族で、僕らよりはずっと長く生きているはずだけど…。  でもそれって、人間で言う年寄りとは違うんじゃないのかなあ…。」 「ほれ、みろ。」 「なんだよ、うるせえなあ。年寄りは黙ってろよ!」 「おい、お前、いつからそんな偉そうな口きけるようになったんだ?」 「なんだい、弱っちいくせに。ばあちゃんに聞いちゃったもんね。あのね、マルス様  …。」 「余計なこと言うな! お前に化けて服脱いでやろうか?」 「なんだい、まだ人真似しかできないのか? もう少し芸増やせよ。」 怪訝そうなガルダスに、ライアンが説明する。 「あのチェイニーというのは、数少ない神竜系の竜人族…マムクートの一人なんだ。  カイン隊長に聞いた話だけれど、イシュターのお婆さんが神竜族の一族と関わり  があるとかで、イシュターもチェイニーとは親しいらしいよ。」 ガルダスは、納得したようなしないような表情で二人を見ている。  イシュターとチェイニーのあまりのうるささに、さすがにエルレーンも閉口したよ うだ。 「まあまあ…。ここは神聖な神殿。口喧嘩はそのくらいにしてください。」 「よおし、じじい、外出ろ。勝負してやらあ。」 「ふざけるのもいい加減にしてください。」 エルレーンにたしなめられ、ようやくイシュターが口を閉じる。チェイニーもまだ何 か言いたそうだが、マルスになだめられている。 「ここです。」  エルレーンが一行を招き入れたのは、神殿の一番奥にある小さな部屋だった。ここ は代々の最高司祭が、自室として使っている部屋である。 「これだ…。やっと見つけた…。」 「どうしましょう? このままここに置いておきますか? それとも…。」 「ここに置いておいたほうが安全なのは分かっている。でも…。ニーナ様を助けるた  めには…。」 「まさか、封印の盾を渡そうと…。」 「いや、そういうわけにはいかない。だけど、僕が封印の盾を持って行かなければ話  にも応じてもらえないだろう。…僕がこれを持っているよ。良い方に出るか悪い方  に出るかは分からないけれど…。」 「ところで、これからどうなさるのですか?」 「それが…分からないんだ。一体どこへ行けばいいのか…。」 マルスは、今まであったことを話す。エルレーンとチェイニーがじっと聞いている。 「簡単じゃねーか。ローデシアに行けばいいんだろう?」 チェイニーがあっさりと言う。 「え…、でも…。」 「アカネイアのことなら気にするな。…ほら、マケドニアのパオラっているだろ?  あいつ、リゲル王国の王妃と友達なんだって。」 「リゲル王国?」 「ここからずっと西に行った所にある、小さな大陸にある国だよ。で、妹のエストが  パオラの代わりに、そのリゲル王妃に援助を求めに行ったらしい。そこから援軍が  来れば、ローデシア軍なんかあっと言う間に追い出せるぜ。」 「僕も、メラネーロに応援を頼んでいる…。でもまだ来ないんだ。」 「ふうん。どっかで手間取ってるんだろう。心配するな。それより、これ。」 チェイニーがそう言いながら、小さな赤い袋をマルスに渡した。何か堅い物が中に入 っていて、見た目よりもずっと重みがある。 「何だい? これ。」 「魔石だ。ガトー様がお前を氷竜神殿からアリティアに移動させたのを覚えてるか?」 「うん。テーベの塔からドルーアに送ってくれたこともあったね。」 「あの、移動の魔力を封じ込めた石だ。」 「え? …ということは…。」 「これを使えば一気にローデシアだ。だけど気をつけろよ。一度も行ったことのない  場所に行こうとすると、時々見当違いの場所に出ることがあるからな。うんと強く  念じれば、そんなにひどいことにはならないと思うけど。」 「…分かった。ありがとう。」 「俺に礼を言ってもだめだぞ。ガトー様に言わなきゃ。」 「それじゃ、ガトー様がこれを?」 「そう。今度ばかりは、敵はガーネフじゃないらしい。」 「そのようだね。…ローデシアか…。チェイニーはローデシアについて、何か知らな  いの?」 「この世界には七つの大陸がある。アカネイアはそのうちの一つだ。もともとは一つ  の陸地だったんだが、何万年もの間に何度か大きな地震があって、数千年前に今の  ような七つの大陸ができた。竜族が住んでいた地域はアカネイア大陸になった。だ  から他の大陸には竜族は住んでいなかった。やがて、理性を失った竜族のうち空を  飛べる飛竜が、他の大陸に移動するようになった。竜の本性を封印し、人間になっ  た竜人族の一部も、アカネイア大陸で迫害を受けるようになって他の大陸に逃げて  行った。アカネイア以外では竜人族の存在は知られていないから、皆、人間として  生きているはずだ。アカネイアは七つの大陸のうち、一番大きな大陸だ。逆に、一  番小さな大陸はローダリルム大陸。ローデシアは、そのローダリルム唯一の国家。  つまり、ローダリルム大陸全土が、ローデシア王国ってわけだ。俺が知っているの  はそんなところだな。…それじゃ、早速行くか。マルス、頼むぞ。」  ふわりと体が浮いたような気がした。そして一呼吸おいて、まるで地面に投げ出さ れたかのような衝撃を受けた。気がつくと、そこは海沿いの町だった。 「ここは…?」 「…ローデシアだ! ここは、テレニアっていう町です。お城に一番近い港がある所  です。」 シャモニーがマルスに言う。 「そうか…。シャモニー、僕はニーナ様を返してもらって、アカネイアからローデシ  ア軍を撤退させてもらえればそれでいいんだ。その話をするだけだから、お城まで  案内してくれないか。」 「はい。僕も一緒に、陛下に戦争をやめるようにお願いしてみます。」  マルスは不安な気持ちを抱きながら、シャモニーの後に続いた。シャモニーにそう 言った手前、彼の目の前でローデシア国王に剣を振るいたくはなかった。だがそれで、 封印の盾とファルシオンを失わずにニーナを救えるのか…。さらに、自ら手を下した わけではないにしろ、国王の長子を亡き者にしてしまったのは事実だ。国王がそれを 許すとは思えない。  考えれば考えるほど不安は募る。マルスは努めて、ニーナのことは考えないように した。今はとにかく、この戦争を終わらせることが大事なのだ。