その日、日の曜日、庭園を散歩していたオスカーは、一人の男に呼び止められた。
「オスカー様、ご機嫌うるわしゅう」
「…、ん? 誰かと思えばお前か。どうしたんだ、あらたまって」
オスカーの目の前で、庭園で店を開いている商人が、ニヤニヤしながら立っている。
「んー、どうしたんだと言われましてもなあ。一応、あんたも守護聖様やし」
「一応、か。…まあいい。で、商売の方は繁盛してるのか?」
「ええ、おかげさんで。ところで、ちょーっと時間ありますかいな?」
「ああ。今日は別に予定もないが」
商人は、オスカーの耳元に近づき、何やらささやいた。オスカーの顔色が変わる。
「…お前、それをどこで…?」
「別に、誰かに聞いたっちゅーわけやあらへん。俺、あの辺り、よく遊びに行くねん。で、たまたまあんたを見かけたんや。この目で見たんやで」
「…、分かってるだろうが、他の奴に喋るんじゃないぞ」
「ジュリアス様に、かいな?」
「…特に、ジュリアス様にはな。だが、他の奴にも言うんじゃないぞ。どこで漏れるか分かったもんじゃないからな」
「それじゃあ、一応気をつけておきますわ。…でもなあ、俺、実は、ティムカと知り合いなんやな、こう見えても」
「…何が言いたい?」
「いやなあ、その辺で、世間話なんかする仲やねん、俺たち。そん時、こう、ぽろっと口を滑らしたりしないとも限らへんかなあ、思うんやけど…」
「…何が目当てだ?」
「オスカーさん、そんな怖い顔せんでもええがな。俺、あんたのこと、脅そうとか、強請ろうとか思ってやせんで」
「充分脅してると思うが?」
「そうかあ? それより、ちょこっと頼みたいことがあるんやけどなあ」
オスカーは、そら見ろ、というような顔で、ため息をついた。
「言ってみろ。俺にできることなら、何とかしてやる」
商人は、オスカーに耳打ちした。オスカーは眉をひそめた。
「…それは…。確かに面白そうだが、実際にやるとなると…、難しいな」
「んー、でも、あんたに迷惑かかるようなことやないやろ? 俺、庭園にしか入れんのや。あの人、こんなとこ滅多に来ぃへんからなあ。だから、な、頼むで」
商人は顔の前で手を合わせ、オスカーを拝んでみせた。
その翌日、オスカーは王立研究院を訪れた。主任研究員のエルンストが迎える。挨拶もそこそこに、オスカーは、奥の応接室へと案内をさせた。
ソファに腰掛けるなり、オスカーは用件を切り出す。
「エルンスト、今夜時間はあるか?」
「…どのようなご用件でしょうか?」
「うん、エリューシオンの方で、炎のサクリアがうまく働いていないようなんだ。わずかばかり、不安定になっている気がする」
エルンストは、記憶をたぐりよせるような顔になった。
「…そのような報告は上がっていませんが…」
「ああ、俺は炎の守護聖だから、感じるんだ。だが、あまりにも微弱な異変だから、他の者には分からないのだろう」
「もし、何かあったとすると…」
「ちょっと、まずいことになるな。だから、調査に行きたいんだ。ただ…」
オスカーは、そこで一息ついた。
「俺は、いわゆる頭脳労働は苦手だからな。そこで、宇宙一の頭脳を持つお前が同行してくれれば、心強いんだが」
エルンストは、その程度のお世辞では動じなかった。しかし、微弱なサクリアの異変、という事態の方が、彼の興味をひいた。
「お話は分かりました。では早速、今夜、調査に向かいましょう」
「ああ、だが、これは単なる俺の気のせいなのかもしれない。だから、騒ぎを大きくしたくないんだ。女王陛下にも報告していない。何があったか調べた後でも遅くないからな。お前も、このことは、絶対に口外しないで欲しい」
「承知いたしました」
「それから、エリューシオンの人たちに、無用な不安を与えたくない。だから、その研究院の制服はやめてくれ。妙な調査機械とかも持って行くなよ。とにかく、目立つような格好はダメだ。俺も普段着で行くから」
「はい、その通りにいたします」
オスカーが去った後、エルンストは腕組みをして、天井を見上げた。エルンストは、ただ頭が良いだけではなく、直感も鋭かった。そうでなければ、科学者として、これだけの成果を上げることはできなかったろう。何かを隠している…。エルンストは確信した。
その夜。待ち合わせの場所に先に着いたのはオスカーだった。普段着でも、女性の目を惹かずにはいられない、見事な色男ぶりだった。
それからやや遅れて、エルンストが現れた。オスカーは、その姿を見て絶句する。
「…なんだ、お前、その格好は…」
「ええ、目立たないように、との仰せでしたので…」
エルンストは、黒いスーツに白のワイシャツ。そこまではまだしも、ネクタイまでも黒で揃えていた。
「お前、葬式にでも出る気か?」
「そういうつもりではありませんが…。似合いませんか?」
「あのなあ。似合う、似合わないの問題じゃなくて、だ。TPOというものをわきまえろ、と言ってるんだ。…仕方ない、俺の服を貸すから、着替えていけ」
「そういうわけには参りません。守護聖様からお召し物をお借りするなど」
「俺が貸す、って言ってるんだ。問題ないだろう?」
「私とオスカー様とでは、まるで体格が異なります。どれほど立派な服でも、サイズが合わなくては…」
「そんなこと気にするな」
「いえ、私が気にします」
オスカーはため息をついた。頑固さでは、ジュリアス様にもひけをとらないかもしれないな…。
「分かった。なら、せめて、そのネクタイはやめろ。他の色のはないのか?」
「そういうこともあろうかと思いまして…」
エルンストは、内ポケットから、白いネクタイを出した。
「これならよろしいですか?」
「…ああ、そっちの方が、百倍くらいマシだ」
エルンストは上着を脱いで、腕にかけた。見かねたオスカーが、ほとんど無理矢理、上着を取り上げ、ネクタイを黒から白に変えさせた。
エリューシオンでは、商人が既に待ちかまえていた。
「やー、お二人さん、待っとったで。あ、俺、道案内なんや」
商人は、訊かれもしないうちから、言い訳をした。
「うん、出迎えご苦労」
オスカーが、勝ち誇ったような笑みを浮かべた。一方商人は、エルンストを見て愕然とする。
「な…なんや、その格好はぁ? あんた、結婚式にでも出る気なんか?」
その隣で、オスカーは首を振った。
「これでも、さっきよりはマシなんだ。さっきまで、こいつ、葬式に行くような格好をしてたんだぜ」
「なあ、あんた。悪いこと言わへん。少しは私服も揃えた方がええって。今度、あんたに似合いそうなん、見繕って持ってくわ」
「いえ、お気遣いなく。特に不自由は感じていませんから」
エルンストはすました顔で、眼鏡に手をやった。
「まあ、とにかく、現場に行こう」
オスカーが歩き出そうとするのを、商人は引き留めた。
「ちょっと待った。あんたら、俺の名前知らへんやろ?」
「…ああ、そういえば、聞いてなかったな。これだけ長く顔を合わせてて、不思議なものだが」
「ま、聖地じゃ『商人さん』で通ってたしな。…実はな、俺、自分の名前、嫌いなんや。せっかく親からもらった名前やけどな、親は好きやけど、この名前はなぁ。だから、いつも、本名と違う名前で呼んでもらうことにしとんのや。遊ぶ相手が変わるたびに自分の名前も変わるんや。おもろいでー」
エルンストが、理解できない、という顔で首を振った。
「なんでもいいのか?」
オスカーが尋ねる。
「なんでもええで」
「そうだなあ…」
「では、ジュリアス、とでもお呼びしますか?」
エルンストの言葉に、商人の顔色が変わった。
「そ…それはいくらなんでもあかんやろ、なあ?」
商人は、オスカーの方を見た。オスカーは、眉間に皺を寄せている。
「うーん、そうだな…。ちょっと、俺も、落ち着かないな」
エルンストは、軽くため息をつく。
「なんでもいい、とおっしゃったではありませんか?」
「なんでもええけど…、ほら、他ん人の名前は良くないわ。な」
「…じゃ、チャールズってのはどうだ? チャールズ、愛称はチャーリーだ」
このままエルンストに任せると、とんでもない名前が出てきそうだ。そう思って、オスカーは慌てて口を挟んだ。商人は、一瞬不服そうな表情を見せたが、すぐに笑顔になった。
「そやな。じゃ、俺は、今ここから、チャーリーや。お二人さんとも、そう呼んでくれな。…そういえば、オスカーさん、あんたも本名出したらまずいんちゃうの?」
「俺の名前か? …ここでどう呼ばれてるかは、そのうち分かるさ。では、行こう」
嬉しそうなオスカーとチャーリーの後を、エルンストがついて行く。
三人が着いたのは、場末の酒場だった。
「ささ、ここや」
チャーリーがエルンストの背後に回り、しっかりと肩を押さえて、店の中へと押し込んだ。エルンストは大して抵抗もせず、先に店に入ったオスカーの後に続く。チャーリーは少し拍子抜けした。
「あーら、おーさん。久しぶりじゃないのー。女の子たちが寂しがってたんだからあ」
もうとても若いとは言えない女が、めざとくオスカーを見つけて、近づいてきた。
「お…おーさんー?」
呆気にとられているチャーリーに、オスカーはウインクをしてみせた。
「あらあ、珍しいわね。お友達?」
「ああ、チャーリーと、エ…エリーだ」
オスカーはそう言って、しまった、と思った。エルンストの本名を出しそうになり、とっさに偽名を使ったが、これでは女性の名だ。
だが、エルンストは平然として言った。
「エリックです。仲間うちではエリーと呼ばれていますので、そう呼んでいただいて結構です」
オスカーとチャーリーは、目線で会話をした。案外これは、手強い相手かもしれない。
「チャーリーさんとエリーさんね。じゃ、今日はカウンターじゃなくて、ボックスがいいわね」
「ああ、そうしてくれ」
「ところで、お二人は、どのような女の子がお好みかしら?」
チャーリーが途端に嬉しそうな顔になる。
「あ、俺は、別嬪さんがええな。せっかくこーゆーとこ来とんのや。とびっきりの別嬪さん、頼むで」
「はいはい。エリーさんは?」
「そうですね…」
エルンストは、少し間をおいてから、一気にまくしたてた。
「容姿端麗にして頭脳明晰、かつ品行方正な良妻賢母と言ったところでしょうか」
オスカーとチャーリーが呆然としている中、店のママはにっこりと笑った。
「あらあら、理想が高くていらっしゃること。でも、うちの子ならきっと満足してもらえるわよ」
三人は、店の一番奥のボックス席に案内された。女の子を連れてくる、と言って、ママが席を離れたすきに、三人の密談が始まった。
オスカーが、おそるおそるエルンストの顔を見る。騙されたと知って、さぞかし怒っているだろう、と思ったが、まるで平気な顔をしている。
「…エルンスト、怒ってないのか?」
「私が、ですか? なぜです?」
「なぜって…、お前をこんな所に連れてきたからさ」
「ああ…、確かに、私が苦手なタイプの場所ではありますが…。しかし、サクリアのバランスが崩れているのは、間違いありませんね。調査のためには仕方ありません」
その言葉に、オスカーは開いた口がふさがらなかった。
「こんな猥雑な場所ができるとは、正しく女王陛下のお力によって導かれた物とは思われませんよ」
オスカーの隣に陣取ったチャーリーが、肘でオスカーを小突く。
「…な、ちょっとこのままにしとかへん? なんや面白そうやし」
「…そうか…?」
オスカーは不気味な物を感じながらも、本当の目的については黙っていることにした。
やがて、賑やかな声が近づいてくる。
「きゃあっ☆ おーさんってば久しぶりっ☆ もうっ、私のことなんか忘れちゃったんだと思ってたわあ」
「…サリナ、俺がお前を忘れるわけないだろう? 寝ても覚めても、お前のことしか頭にないんだぜ」
「ま、相変わらずお上手☆」
サリナが、チャーリーの隣に座った。
「あれ、お前、今日は俺に付き合ってくれないのか?」
「ママさんの言いつけなの」
そう言って、立ったままの、もう二人の女性の方に視線をやった。
「キティ、ご挨拶して」
「あの…キティです。今日からここでお世話になってます」
「ほう、新人か?」
オスカーの目が光る。
「そ。だから、緊張してんのよ。でね、おーさんに、色々教えてもらいたいの☆」
「仕方ないな」
そう言いながら、オスカーはとびきりの笑顔で彼女を迎えた。
「はじめまして、ミレーヌです」
最後の一人が、爽やかな笑顔とともに、エルンストの隣に座る。
「おっ、お前、ついてるな。ミレーヌって言えば、ここのナンバーワンだぜ」
「ふふっ、ありがと☆ …あら、真面目そうな方ね。おーさんのお友達だなんて、信じられないわ」
そう言って、ミレーヌはエルンストに笑いかけた。
「そうですね。私も信じられませんよ」
「…でも、意外と面白い方かもしれないわね。ところで、おーさん、いつもどおり、水割りでいいの?」
「ああ。お前たちはどうする?」
「あ、俺も水割り。ウイスキーはなんでもええけど、水はちゃんとおいしいの使うてくれや」
「…あの、私には水割りではなく、ストレートをお願いします。銘柄はお任せしますから」
サリナが感心した顔になった。
「あっらー、見かけによらず、お強いのね」
「…いえ、そんなことはありません。ただ、ウイスキーは薄めるよりも、そのまま飲む方がおいしいと聞いていますから。ですから、チェイサーは水でお願いしますよ」
ミレーヌが笑い、横目でオスカーを見る。
「そうね、ビールをチェイサーにするようなうわばみには見えないわ」
キティが手を挙げ、ウェイターを呼んだ。サリナがオーダーをする。間もなく、テーブルの上には、水割りのセットと申し訳程度のつまみが並んだ。一つだけ、小さめなグラスが混じっている。
「では、我々の再会と出会いを祝して…、乾杯」
オスカーがおどけて乾杯の音頭を取る。何が再会や、と思いながら、チャーリーはグラスを掲げた。そして、エルンストをちらりと見る。相変わらず、動じた様子はない。
「おっかしいなあ。あんなに女の子にくっつかれても平気な顔しよるなんて、案外遊んどんのかいな?」
チャーリーはそう心の中でつぶやき、首を傾げた。
それから酒が進むにつれ、三人はそれぞれ、別の世界へと入っていった。特にオスカーは、本来の目的をすっかり忘れてしまったかのようだ。チャーリーは時折、ちらちらと他の二人の様子を見ていた。
「もう、チャーリーってば。そんなにお友達が気になるの?」
サリナが、しなを作って尋ねた。
「うーん、おーちゃんはええんやけどなー。あの、エリーの方はな、こういうとこ来んの初めてなんや。だから、ちょっと心配でなぁ」
「あら、そうなの? 慣れてるように見えるけど?」
「うん、俺らの知らんとこで遊んでたんかもしれへんなあ」
「それに、ミレーヌだって、ちゃんと心得てるわよ。だてにナンバーワンとは呼ばれてないって」
一方、ミレーヌの方は、エリーことエルンストから、今日結婚した学友の話を引き出すのに成功していた。だが、もちろん、百パーセント作り話である。もっとも、ミレーヌにしてみても、それが本当でも嘘でも、知ったことではない。
それからさらに時間は流れた。オスカーはキティと二人っきりの世界に突入しており、チャーリーも、自分のことで手一杯になっていた。
ふと、エルンストがトイレに立った。残されたミレーヌが、オスカーを呼ぶ。オスカーは、不機嫌そうに顔を上げた。
「なんだ、俺がこの子とあんまり仲良くしてるんで、妬いてんのか?」
「…ねえ、あのお友達って…」
そこまで言って、ミレーヌはオスカーを手招きした。仕方なく、オスカーはテーブルの上に身を乗り出す。
「彼、男にしか興味ないって、ほんとなの?」
「………!?」
オスカーは、無意識に口を付けた酒を気管に吸い込み、派手に咳こんだ。その騒ぎに、チャーリーもこちら側の世界に引き戻された。
「あのね、そろそろいいかしら、と思って、二人で二階に行かない?って誘ったんだけど…」
ちなみに、この酒場、二階は個室になっている。オスカーがこんないかがわしい店に出入りしているのは、言うまでもなくトップシークレットである。
「彼ったら、二階で何をするのかしつこく訊いたあげく、『私は女性に、そういう興味は持てない人間なんです』って…」
「…そら、あんた、からかわれてるんやで」
不安そうなミレーヌを、チャーリーは笑った。が、その顔は明らかにひきつっている。
「でも、あの人、そういう冗談なんか、絶対、言いそうにないじゃない?」
だが、その会話は、そこでおしまいになった。なぜなら、エルンストが戻ってきてしまったからだ。
結局、そのことが気がかりで、それからさほど経たないうちに、三人は店を出ることになった。
「オスカーさん、楽しかったわぁ。エルンストさん、今度また一緒に遊ぼな」
「…そうですね、ご縁があれば」
「じゃ、俺は仕事あるから。また日の曜日に会おうな」
そう言って、チャーリーは何処へかと消えた。
聖地に帰ったオスカーは、エルンストにあらためて詫びた。
「騙してすまなかった。だが、たまにはお前も、外の空気を吸った方がいいと思ってな。ほら、何事も経験だからな。分かるだろう?」
「ええ。お気持ちはありがたく思います。こんなことでもなければ、私は聖地の外に出ようなどとは、考えもしないでしょうね」
オスカーは、エルンストが怒っていないことを確かめて、それから核心をつく話へと持っていった。
「ところで、さっきの店の女の子が言ってたんだが…、お前、あの、アレだってのは本当なのか?」
「…あれ…?」
「その、男にしか興味がないってのは…?」
「ああ」
エルンストは、皮肉っぽい笑みを浮かべた。
「嘘も方便、と言いますからね」
オスカーは、深くため息をついた。
「お前、方便ったって、もう少しマシな嘘をつけよ」
「そうですか? 女性に言い寄られて困った時に、相手を傷つけずに断る一番いい方法だと、恩師から教わったのですが」
「…お前の恩師というのは、どういう人間なんだ?」
「取り立てて言うほどの、珍しい人ではありませんよ。ごく普通の、ありふれた人間です」
「お前たち、学者の言う『普通』ってのは、あてにならないからな…。大体、お前がそういう人間だという噂が立ったら、お前だって困るだろう?」
「…同性愛については、生物学的、また、心理学的見地から研究が進められていますが、いまだ結論は出ていません。ただ、確かなことは、一般的に思われているよりもはるかに高い確率で出現しているということです。つまり、一概に異常性癖とは言えないわけです。ですから、そのような噂が立ったところで、私は一向に困りませんよ」
「…お前、まさかとは思うが、やっぱり、そっちの方面なんじゃないのか?」
「まあ、そうではないという証明もできませんがね。たぶん違うでしょう。女性に関心がないのと同じくらい、男性にも関心はありませんから」
「なあ、頼む。少しは女性に興味を持ってくれ。そうでないと、俺が安心できない」
「…どういう関係があるんですか?」
エルンストは、少しムッとした声を出した。
「いや、だから、なんだ。少なくとも、俺は相手をしたくない、ということだ」
いつになく歯切れの悪いオスカーの言葉に、エルンストは笑いを漏らした。
「ご安心ください。申し訳ないことに、私はオスカー様に、個人的な興味は全くありませんから」
「嬉しいんだかなんだか、複雑な気分だが…」
「それでは、私は研究院に戻りますので。失礼いたします」
エルンストの背中を見送りながら、オスカーは心の中でつぶやいた。
「あいつの頭の中を、一度覗いてみたいもんだ。脳細胞の代わりに、電気回路でも詰まってんじゃないのか?」
それから数カ月。そんないたずらをしたことすら忘れたある日、オスカーはジュリアスに呼ばれた。ジュリアスの机の上には、王立研究院の機関誌が置かれている。
「オスカー、お前に尋ねたいことがある」
「はっ、何でございましょうか。ジュリアス様」
ジュリアスは機関誌の、あるページを開いた。
「主任研究員のエルンストが書いた、『生活環境が人間の精神に与える影響』というレポートが載っている。エリューシオンにおける、住民の行動様式と、彼らの生活環境の関連性について考察したものだが、彼自身が実際に観察した結果を元にしており、なかなか興味深い内容になっている」
「…それが何か?」
「この、『謝辞』の項に、お前の名前が出ているのは、どういうわけだ?」
オスカーは、背中に、冷や汗が一筋流れるのを感じた。
「あ、それは…。以前、彼に、エリューシオンでのフィールドワークを勧めたことがありまして…。たぶんそのことではないか、と」
「なるほど…。それで、お前が、水先案内まで引き受けたわけか?」
「え? あ、あの、それはですね…」
この後、オスカーがどういう言い逃れをしたのか、あるいは、逃れきれずに叱責を受けたのか。それは二人とも他言しなかったため、誰にも分からない。ただ、それからしばらく、庭園には商人の姿がなく、オスカーは何かと言い訳をしては、王立研究院を避けるようになったという。
(完)