オスカーは退屈していた。新しい水の守護聖に会わせるから、と言われ、この小さな部屋に待たされたまま、聖地の時間で小一時間は経とうかとしていた。
彼がこの地に来てから、さほどの期間は経っていない。まだ完全に、炎の守護聖としての地位を任されているというわけでもない。そういう意味で、いわば「同期」に当たる水の守護聖と会わせてくれるというのは、ありがたいことではある。だが、外はさんさんと日が差している。こんな日に、こんな狭い部屋に閉じこもっているのは、犯罪にすら思えてくる。
オスカーは意を決して、部屋を出ることにした。何、すぐに戻ってくればいい。もう一時間も待たされているのだ。五分や十分抜け出したところで、責められるほどのことではあるまい。
聖殿の中は、遠くに鳥の声が聞こえるほかは静かだった。広い窓から差し込む光の中、オスカーはぶらぶらと廊下を歩いていた。
「…ん?」
オスカーは、一つの扉の前で足を止めた。扉は半開きで、中に誰か立っているのが見える。華奢な肩に長く美しい空色の髪。どうやら、オスカーの知らない星からの訪問者のようだ。それも、後ろ姿から察するに、相当の美人と見える。そういえば今度の水の守護聖は、いかにもそれらしく、水の惑星から召し上げられるのだと聞いた。だとすれば、彼女は同じ惑星から来た、側付きの女性だろう。
早くも、歴代の守護聖ナンバーワンのプレイボーイとの評判を欲しいままにしているオスカーが、この美人を放っておくはずがない。なお、彼の名誉のために言い添えれば、彼は女好きなのではなく、目の前に女性がいるのに口説かないのは失礼なことだ、というポリシーを持っているのだ。つまり、誰かれなく口説くのは、口説くことこそ女性に対する礼儀だと堅く信じているからなのである。もっとも、聖地に召し上げられた早々に女王と女王補佐官を口説いた時には、鼻であしらわれた上に、お堅いことで有名な光の守護聖ジュリアスにこっぴどく怒られて、かなりプライドを傷付けられた様子だったが。
オスカーは扉脇の壁を軽くノックした。窓の外をぼんやりと眺めていたその人が、はっとした様子で振り返る。
美しい…。女性なら星の数ほど見てきたオスカーも、この人の美しさには息を飲んだ。透き通るような白い肌。吸い込まれそうな澄んだ瞳。これはなんとしても落とさなくては…。オスカーはそう心に誓い、にこやかな笑みを浮かべて部屋の中に足を踏み入れた。
「やあ、はじめまして。俺は炎の守護聖、オスカーだ。よろしく。」
「ああ…、あなたがオスカー様ですか…。」
その人の声は、見かけよりは低い、落ち着いた声だった。なんと大人の魅力に溢れた女性なのか…。オスカーは、ますます嬉しくなった。
「俺の名前を知っているのか…。光栄のいたりだな。」
そう言って、オスカーは笑いをもらした。
「はい、先ほど、ディア様にうかがいました。」
「そうか…。ところで、君の名前は?」
「リュミエール、と申します。」
「リュミエール…、美しい名だ。だが、君の自身の美しさは、それにも勝る。」
言うが早いか、オスカーはその人の手を取り、軽くくちづけた。
「何をなさるんですか!?」
リュミエールはあわてて手を引こうとするが、オスカーはしっかりとその手を握って、離そうとはしない。
「驚かせて済まない。だが、君ほど美しい人を見たのは初めてだったもので…。」
「やめてください!」
オスカーは、とっておきの笑顔を浮かべて、リュミエールの目を見つめた。
「君を傷付けるようなことはしない。俺を信じてくれ。」
「あ…、あなたは何か、勘違いをなさっているのです。わたしは、新しい水の守護聖です! そんな、ふしだらな…。」
「えっ?」
心底驚いた顔で、オスカーはリュミエールを見た。守護聖は、男がなるものだと聞いている。だが、リュミエールの顔付きを見る限り、嘘はついていないようだ。
なるほど、最近は女性も守護聖になれるようになったのか。オスカーは心の中でつぶやいた。もちろんそれは、オスカーにとっては喜ばしいことだ。
「そうだったのか…。」
オスカーは握った手の力を緩めた。そういうことなら仕切り直しである。
「俺は幸せ者だな。こんな美しい人と共に、この聖地の中、永遠にも近い、長い時間を過ごすことができるなんて…。」
リュミエールは、そっとオスカーから遠ざかろうとした。だが、すかさずオスカーは、左手でリュミエールの右手首を掴み、右手は優しく背中へと回した。
「なぜ逃げてしまうんだ? 俺は、ただ、君の美しさを少しでも長く見つめていたいだけなのに…。」
「い…いい加減にしてください! 冗談にもほどがあります!」
怒っている、というよりは、怯えたような声でリュミエールが叫ぶ。ちょうどその時…。
「オスカー! 何してんだ?」
振り返った二人の前に、緑の守護聖カティスが呆れた顔で立っていた。
オスカーは少しも動じるでなく、敬礼を捧げると、平然として言った。
「どうもこれは、お恥ずかしいところを…。この方のあまりの美しさに、我を忘れてしまったようで…。俺としたことが、とんだところをお見せいたしました。」
「お前…そういう趣味があったのか?」
「は?」
ため息混じりに尋ねるカティスに、今度はオスカーがきょとんとする番だった。
「お前の女好きは知っていたが、男にも手を出すとは…。」
「えっ…?」
カティスは、オスカーの後ろでうつむいたまま身を堅くしているリュミエールを指差した。
「それとも、そいつが女だとでも思ったのか?」
オスカーはゆっくりとリュミエールの方を向いた。
「お…と…こ……?」
「ああ。そいつはリュミエールと言って、新しく水の守護聖として召し上げられた男だ。お前とは年も近いし、いい友達になれると思って紹介してやろうと思ったんだが…。その必要はなかったようだな。」
そう言ってカティスは、くっくっと笑い、背中を向けた。
「待ってください、カティス様! 置いていかないでください!」
部屋を出ようとするカティスを見て、リュミエールは慌ててその後を追った。この先オスカーと二人きりになったら大変なことだ、とでも思ったのだろう。一方のオスカーは、あまりの事実に、呆然と立ち尽くしているだけであった。
この一件は、オスカーのたっての頼みにより、三人の胸のうちにしまわれ、他に誰一人知ることはなかった。だが、オスカーを見る度にリュミエールが怯えているのは、誰の目にも明らかだった。
三人だけの秘密が明らかになる日も、遠くないのかもしれない…。
(完)