その日、エルンストの許に、二人の来客が現れた。
「おめでとう、エルンスト」
セイランが、いたずらっ子のような目をして挨拶する。何のことやらさっぱり分からない、という顔で突っ立っていると、後ろからオリヴィエが顔を出した。
「あー、あんたってば、まだ聞いてないんだ。今度の『メイ・クイーン』(五月の女王)、あんたに決まったんだよ」
「…メイ、クイーン…?」
「…まさかと思うけど、あんた、五月祭の話、忘れてんじゃないだろうね?」
「いや、覚えてますよ」
そう言いながら、エルンストは乱雑な机の上から、神がかり的な力をもって、一発で一枚の紙を引き当てた。
「これですね」
「そーそー。ほら、書いてあるでしょ。ここ」
オリヴィエが指さす所には、メイ・クイーンの選出に関する、投票の要項が書かれていた。
「エルンストは投票しなかったんだ?」
「え? ああ、まあ、忙しかったものですから」
忙しかったというのは、まんざら嘘ではない。しかし、そもそもエルンストは、こういう催しは嫌いだ。だから、五月祭の通知が回って来た時も、ざっと目を通しただけで、知らないふりを決め込んでいたのだ。
もう一度、開催要項をよく読んでみる。聖地に勤務する一般人の慰安を目的に、年に一度開かれる聖地最大の祭、それが五月祭である。ここで言う「年に一度」とは、聖地の時間に換算して、であるから、外界の時間にすれば相当に間隔が開くことになる。だからその分、祭は派手なものになり、それこそ無礼講で、守護聖と一般人との接触さえ許されるのである。ただし女王だけは、その存在の神秘性を保つため、五月祭の場といえども、人前に姿をさらすことはできない。
「メイ・クイーン」は、言ってみれば、女王の代理である。それならば女王補佐官が勤めればよさそうなものだが、そこはそれ、聖地最大の祭である。祭を一層盛り上げるため、一般人も含めた聖地在住者全員の投票により、多数決で決められる。しかも、候補者は男性に限定されるのである。どうやら、間違って女王や女王補佐官よりも美しいメイ・クイーンが誕生するのを防ぐためらしいが、とにかく、男性が女装をする、という点で、外界で行われる同種のイベントとは趣を大きく異としている。
エルンストは軽くため息をついた。
「冗談はやめてください。私が選ばれるわけないでしょう。対象外なんですから」
「えー? なんでよ?」
「『対象者は、守護聖ならびにそれに準ずる者』とあります。私は一介の研究員です」
「なーに言ってんのさ。女王試験の協力者は、全員『それに準ずる者』なの」
「そう。僕たち教官も、もちろんその中に含まれてたんだよ」
下馬評では優勝候補の筆頭だったセイランは、自分が選ばれなかったことでひどく機嫌が良かった。
「嘘だと思うなら、庭園まで行ってみる? 女王直筆の高札が出てるからね。もう聖地中の人が、あんたが次回のメイ・クイーンだってこと、知ってるんだよ」
「…いや、結構です」
エルンストは力無く答えた。本当だとすれば、わざわざ人出のある所に行くのは、自殺行為である。
「つまり、これは、女王陛下の勅命である、と?」
「そゆこと。わたしたちは、ドレスのデザインとメイクを担当することになったから。それで昨日のうちに、陛下に呼ばれて、あんたがメイ・クイーンに選ばれたこと、先に聞いてたってワケ」
「じゃ、早速始めようか」
そう言って、セイランは無遠慮に部屋の中に入り込んだ。
「ちょっと待ってください。始めるって何をですか?」
「ドレスの基本デザインを選んでもらおうと思ってね。僕が勝手に決めてもいいんだけど、一応本人の希望ってのもあるだろうし」
勧められもしないうちに、セイランとオリヴィエは、扉近くのソファーに腰を下ろし、ローテーブルの上に雑誌を広げた。それを見て、エルンストも仕方なくソファーに座った。
「いくつか選んでみたから、それについて意見が欲しいな。まず、これはどう思う?」
セイランは、雑誌の、付箋が貼ってあるページを開いて、エルンストに差し出した。エルンストは、見るなり顔をしかめる。
「こんな肩の開いた服…。よく恥ずかしくないですね」
「ふうん、こういうのは趣味じゃないんだ」
「私だったら、襟のついていない服を着て、パーティーに出るなんて考えられません」
「襟って…。これだって立派な襟だよー」
オリヴィエがおかしそうに笑う。
「たしかに、このフリルを襟と呼ぶならね。とにかく、肩を露出するようなのはダメってことだ」
セイランは、次の付箋のページを開く。
「これは? これならスタンドカラーだから、襟の問題は解決する」
「…もっと、普通の服はないんですか?」
「パンツスーツとかを期待してるんなら、あきらめて欲しいね。ただの女装ならそれでもいいけど。これは、いわば舞台衣装なんだ。どうしても華やかさが必要なんだよ」
「あんたさあ、そんなにメイ・クイーンを毛嫌いしちゃだめだってば。前回、誰が選ばれたか知ってる?
「…いいえ」
「ジュリアスなのよー。もうびっくり」
その時のことを思い出したのか、オリヴィエは大笑いした。
「その時も、わたしがメイクしたのよねー。ジュリアスはこめかみに青筋立てて怒ってたけど。でも、あの白い肌に金色の髪。男にしとくのはもったいないね。さすが皆、よく見てるわ」
「へえ、それは僕も初耳だな。で、ドレスは誰が選んだの?」
「デザインはわたし。作ったのはゼフェル」
「ゼフェル? 彼が?」
「そ。あの子、手先が器用だしね。それにああ見えて、仕事は丁寧なんだ。ま、いつも説教食らってるジュリアスを女装させるってんで、本人大乗り気で、いつに増して張り切ってたってのもあるけど」
盛り上がっている二人の前で、さすがのエルンストも腹をくくった。あのジュリアスがやったことを、断るなんてことは到底できまい。
「分かりました。分かりましたが、このレースのスカートは勘弁してもらえませんか?」
「なんでよ? かわいいのに」
「何と言うか、その…。これは恥ずかしいですよ、いくらなんでも」
「…そう言えば、エルンストが研究院の制服以外の服を着ているのは、今日初めて見たな」
セイランは、エルンストの普段着姿を、改めてまじまじと見た。
「いつもこんな感じ?」
「ええ、そうです」
「一人でいる時にも、そんな糊の効いたシャツを着てたんじゃ、首が擦り切れそうだな」
くすくすと笑うセイランを見て、エルンストは憮然とした表情になった。
「だらしのない服装をしていては、気持ちまでだらしなくなります」
「なるほど、それが君のポリシーってわけだ。…そんな恐い顔しないでよ、ほめてるんだから。僕は、そういう、自分なりの行動規範を持っている人って好きだな」
「じゃあ、どうする? やっぱりこういう、カッチリした感じで行く? わたしは、いっそ、全然違うイメージにする方がいいと思うけど」
「どうかなあ。こういう知的な感じも捨てがたいとは思わないかい?」
「知的な大人の女性…ねえ。ま、それもアリかな」
「じゃあ、かわいい系のはやめて、シックなのにしよう」
次に開いたページでは、黒いマーメイドラインのドレスを着たモデルが、高飛車な微笑みをたたえてこちらを見ていた。
「襟周りが気に入らないだろうけど、これはさっきみたいなスタンドカラーにできる。そうしたら、フロントが黒一色で寂しくなるから、ラインストーンをちりばめて、少し華やかさを足せばいいんじゃないかな」
そう言われても、エルンストにはさっぱりイメージがわかない。じっと見つめていると、隣でオリヴィエがわめき始める。
「ダメよー、これは」
「どうして? 似合うと思うけど」
「これ、体の線がはっきりと出ちゃうもの。男と女じゃ、根本的に体の造りが違うんだから。これを着るんだったら、バストとヒップをパッドで補正しなきゃ。ウエストはもともと細そうだからオッケーにしても、さ」
その言葉に、エルンストは身震いした。女性の服を着せられるだけでも屈辱なのに、このままでは女性用の下着まで強要されかねない。だが、抗議する前に、セイランの方が譲歩した。
「そこまでする必要もないな。それなら、もっとストレートなシルエットにすればいいや」
そう言うと、今度はスケッチブックを取り出し、何やらデッサンを始めた。
「へえ、セイラン、あんたって絵の才能もあるんだねえ」
「詩人ってことになってるけど、絵や音楽だって、僕にとっては詩と同じだからね。その時に表現したい物を表現するのに、一番いい手段を選んでいるだけなんだ」
話をしながら、セイランはあっと言う間に一枚のデザイン画を描き上げた。
「どう? これ、どこだかの惑星の民族衣装をベースにしているんだけど。どこのかは忘れたな。ルヴァ様にでも訊けば知ってるんじゃないの? 民族学に詳しいはずだから」
別に、どこの民族衣装でも構わないが…、と心の中でつぶやきながら、エルンストはぼんやりとその絵を見た。極めてシンプルで、かつ露出度の少ない服だ。ただ一点を除いては。
「…足、出すんですか?」
「そういうことになるわね。大丈夫、まだ二週間あるんだから。わたしがバッチリお手入れしてあげる☆」
「そういう問題ではなくて、ですね…」
エルンストは神経質そうに眼鏡に手をやった。
「ちょっとスリットが深すぎる? でも、ある程度は開けておかないと、歩けないんだ。機能性重視ならこの位は我慢してよ」
「しかし、そんなに大きく開けなくても…」
「この方が動きやすいんだけどな。まあいいや。もう少し下からにしてみるよ」
セイランは新しいページを開いて、また一から描き直した。
そうして仕上がったのは、左膝からのスリットがアクセントになった、ストレートなラインが特徴の、スタンドカラーの長袖ワンピースだった。
「どう? シンプルなスタイルだけど、上品で知的、それでいて、少しセクシー」
「…わたしはさっきの方が好きかな。でもこれも悪くないね。この、隠れている部分がチラチラするのが、結構色っぽかったりするかも」
「後は、色と柄だな」
「ね、これ、ものすごくシンプルなデザインじゃない? だったら、思いっきり派手な柄にしない?」
「うん。色は、赤、それも鮮やかな朱色がいいと思う」
エルンストはあわてて口を挟もうとしたが、オリヴィエの方が早かった。
「いいねえ。それで、金糸で刺繍入れよっか」
「赤地に金? うん、そのくらい派手にしないと、ステージで映えないね」
「で、刺繍の柄なんだけど、ここまで来たら、もう、登り竜しかないでしょ」
「登り竜? 何それ?」
セイランが笑う。
「僕は、蘭の花なんかどうかなあ、と思ったんだけど」
「ああ、蘭もいいねえ。でも、やっぱり竜よ、竜。ドラゴン・ファイアー!って感じ」
ひたすら盛り上がる二人の前で、エルンストはひたすら暗かった。
翌日、研究院に出勤したエルンストは、なぜ自分がメイ・クイーンに選ばれたのかを悟った。自分をちらちらと見ては、おかしさをこらえきれないという目になる研究員たちの表情がすべてを物語っていた。
「奴等、組織票を入れたな…」
王立研究院は、聖地最大の人員を擁する施設である。守護聖の側仕えの人数を合計すれば、研究院に詰めている人数よりも多くなるだろう。だが、守護聖同士の交流はあっても、自分が仕える守護聖の枠を超えての、側仕え同士の交流はあまりない。学芸館の職員に至っては、全員合わせても研究院職員の半分くらいだ。組織内で結託した場合、最大の力を持つのが王立研究院なのだ。
「…覚えていろ。次の年報に載せる論文の提出期限、一ヶ月繰り上げてやる」
心の中だけとはいえ、いつもの彼らしくもなく、汚い言葉で罵るエルンストであった。
そして、恐れていた日がやってきた。土の曜日、女王候補が研究院を訪れる日である。先に着いたのはレイチェルだった。
「やっほー!エルンスト。元気してた?」
「ええ、おかげさまで」
作り笑いを浮かべたエルンストの顔を、レイチェルはニヤニヤしながらのぞき込んだ。
「へえ、もっと嫌がってるかと思ったのにな。意外と平気そうじゃん」
「何が、ですか?」
むっとした声で、エルンストは答える。
「メイ・クイーンに決まってるでしょ。そうそう、ワタシも一票入れといてあげたから。感謝してよねっ!」
「…なんでまた…。私よりも似合う方はいくらでもいるでしょうに」
「似合うって分かってる人にやってもらったって、ちっとも面白くないじゃん。それに、エルンストが女装するなんて、こんな時でもないとありえないしね」
エルンストは深いため息をついた。そんなことではないかとは思っていたのだ。
「ねえ、早く時空の扉を開いてよ。ルーティスが待ってんだから」
黙ったまま重い足どりで、エルンストは扉の前に行き、ロックを解除した。それを見届け、レイチェルが扉の向こうに消える。よほどこのまま扉を閉めてしまおうか、とも考えたが、さすがにそれは思いとどまった。
そして間もなく、アンジェリークの方も研究院にやって来た。
「こんにちは、エルンストさん。アルフォンシアに会いに来ました」
「ようこそ、アンジェリーク。今、レイチェルが行ってますから、ここでしばらくお待ちいただけますか」
一瞬の沈黙が流れた。
「あの、エルンストさん。メイ・クイーンに選ばれたんですってね」
また、その話か…。エルンストはうんざりした表情を隠さなかった。だが、アンジェリークにそれは通じなかった。
「うらやましいです。だって、きれいなドレス着れるんですよね。セイラン様がデザインなさるって。きっと素敵なドレスなんだろうなあ。それに、オリヴィエ様がメイクしてくださるなんて…。いいなあ、うらやましいなあ」
エルンストは、心底、アンジェリークの無邪気さがうらやましかった。いや、自分が女だったら、素直に嬉しかったかもしれない。だが、男の自分には、その感覚は全く理解できないものであった。
「あなたは…。誰に投票したんですか?」
エルンストは何気なく訊いてみた。
「あ、ごめんなさい。私、エルンストさんが候補に含まれてるの分からなくて…。オスカー様に入れたんです」
「オスカー様…?」
「ええ。とても美人の妹さんがいる、って自慢されてたから。兄妹ならきっと似てるでしょう? それならオスカー様も、ドレスを着てメイクしたら、さぞかし美人になるんだろうなあ、って思ったんです」
「アンジェリークってば遅い! ワタシなんか、とっくに見て来ちゃったもんね」
賑やかな声を上げて、レイチェルが戻ってきた。
「あ、じゃ、私もアルフォンシアの所に行ってきます」
「アンジェリーク! 後でワタシの部屋に来てよね。五月祭で着るドレス、選ぶんでしょ?」
「うん、必ず行くから待っててね」
そう言い残して、アンジェリークが扉の向こうに消えた。そして、レイチェルも、一言残して研究院を出て行った。
「じゃ、期待してるからねっ、エルンスト」
その翌日。再び日の曜日がやってきた。この日は、オリヴィエの私邸でリハーサル…すなわち、衣装の試着とメイク、ヘアメイクのテストを行うことになっていた。だが、素直に行くほど、エルンストも馬鹿正直ではない。忘れたふりで、誰もいない研究院に隠れることにした。
しかし、敵は一枚上手である。誰も来るはずのない研究院に、一番研究院に似つかわしくないと思われる人物が現れた。オスカーである。
「オスカー様? 日の曜日だというのに、一体どうなさったのですか?」
「うん、ちょっと頼まれてな。オリヴィエの奴が、お前を力ずくで連れて来いって言うんだ」
とりあえず、エルンストはしらばっくれてみることにした。
「何の話でしょう?」
「さあ、そこまでは聞かなかったが、自分の部屋か、さもなければ研究院か、そこにもいなければ図書館にいるはずだ、と言ってたな。完璧に行動を読まれてるんじゃないか?」
そう言ってオスカーは、くっくっと笑った。
「私は仕事が残っておりますので…。そうお伝え願えませんか?」
「そうはいかないな。力ずくで、って言ってたくらいだから、お前が素直に来ないことはお見通しらしいぜ。おおかた、五月祭の打ち合わせなんだろう? 仕事が遅れて女王試験に差し障るってんなら、俺が直々に陛下に取りなしてやるから」
オスカーは、獲物をとらえた豹のように、眼光鋭くエルンストに詰め寄った。エルンストの方は、と言えば、逃げ出そうとするものの、その「狙った獲物は逃がさない」オスカーから発せられるオーラに圧倒され、身動き一つとれない状態に陥っていた。
オスカーは、エルンストを肩に担ぎ上げた。
「や…やめてくださいっ!」
「お、お前、見た目より重いな」
「下ろしてくださいっ! 分かりました、分かりましたから! 自分で歩いて行きますっ!」
「最初からそう素直になればいいんだぜ」
オスカーの手を振りほどいたエルンストは、ふらふらと二・三歩歩いて、壁に手をつき、深呼吸をした。
「じゃ、行くぞ。一応、オリヴィエの所まではついて行かせてもらうからな」
「…どうぞ、ご自由に…」
オリヴィエの屋敷では、既にセイランも待ち構えていた。
「やっと来たね。ちょっと時間がなかったもんで、手刺繍は間に合わなかったんだ。だから、生地は既成のを使わせてもらった。でも、これだってなかなかの物だよ」
「仕立てはセイランのお手製。サイズはぴったりのはずだけど、念のため着てみてくれる?」
そう言うなり、オリヴィエはエルンストの服に手をかけた。
「な…何をする!」
「何って、あんた。この上に着るわけにはいかないでしょうが」
「こんな人前で着替えろとおっしゃるのですかっ?」
「男同士なんだからいいじゃないのー。…はいはい、じゃ、バスルーム使って」
仏頂面のエルンストが、ドレスを手に、オリヴィエが指さす方へと消えた。
「…大丈夫かな?」
「大丈夫よー。バスルームの窓から逃げたって、結局、ここを通らないと敷地の外には出れないの」
そう言って、オリヴィエは大きな窓を指さした。
「そういう意味じゃないんだけど…」
「エルンスト、逃げようったって無駄だからな!」
結局そのまま居座っているオスカーが、バスルームに向かって叫ぶ。返事はない。
それからしばらくして、エルンストが困ったような顔で、扉から顔を出した。
「あの…」
「どうしたのさ?」
「これ、どうやって着るんですか?」
セイランが吹き出す。
「やっぱりね。だから、手伝ってあげようと思ったのに。いい? 入るよ」
それからさらに、しばらく時間が経った。セイランが勢いよく、バスルームの扉を開く。
「どう?」
「完璧だね。まあ、見てやってよ」
セイランに背中を押され、エルンストが堅く下を向いたまま、客室に戻って来た。オスカーが口笛を鳴らす。
「ひゅーっ、どこのレディーかと思ったぜ」
「まだまだこれからよー。このオリヴィエ、腕によりをかけてメイクしちゃうからね。オスカー、あんた、鼻血なんか吹かないでよ」
「馬鹿言え。敬愛するレディーに、そんな下劣な感情を抱くわけがないだろう?」
「よく言うよ」
オリヴィエはエルンストを無理矢理ドレッサーの前に座らせた。
「ちょっとー、顔上げてくれなきゃ、メイクできないじゃない」
そう言って、頭に手をかけ、ぐっと力を入れた。エルンストの、絶望に打ちひしがれた表情が現れる。
「まーったく。なんて情けない顔してんの。さ、笑って笑って」
エルンストは、鏡に映る自分の姿を見た。幸い、上半身しか映っていない。やたら派手な赤い生地に、さらに派手な金の糸で、わけのわからない幾何学模様が刺繍されている。襟口と肩の打ち合わせには、赤いロープ状の紐が縫いつけられており、その肩には、服地と同色のくるみボタンが三つ並んでいる。
「ちょっとごめんね」
オリヴィエが、エルンストの眼鏡を外した。とたんに、エルンストの視界がぼやける。
「眼鏡なしだと辛い?」
「ええ、まあ…。でも、歩くくらいなら支障ありません」
「じゃ、眼鏡はなしにするね。その方が、こっちも、アイメイクのしがいがあるからさ」
エルンストは内心ほっとした。眼鏡を外せば、多少なりとも、いつもの自分とは違う顔になるだろう。そう考えた時、ふと、別なことを思いついた。
「ところで、かつらとかは使わないんですか?」
「へえ、やる気になってきたみたいだな」
「いや、別にそうではなくて…。かつらをかぶれば、その…」
「顔が隠れるって?」
オスカーが助け船を出した。
「ええ。そういう意味です」
「かつらは要らないわよ。地毛で、タイトな感じに仕上げる予定だから」
「そうですか…」
「コンセプトは『知的な女性』。額は出した方がいいね。ショートか、ロングだったらシニヨンにするんだろうな」
そう言われても、エルンストにはさっぱり意味が分からなかった。分からないので、言われるままにするより仕方なかった。
オリヴィエの指示通り、顎を上げたり引いたり、目を閉じたり開いたり、そんなことが小一時間ほど続いたろうか。
「さ、終わったわよ」
「さすがだなあ。これなら、どこに出ても恥ずかしくない、本物のメイ・クイーンだ」
「ほう…。参ったな。これじゃ聖地中の…いや、全宇宙の女性が、お前に嫉妬するぞ」
ほめられてるのか、からかわれているのか。エルンストは真っ暗な気持ちで三人の前に立っていた。
「さ、鏡見て」
オリヴィエに促され、姿見の前に立つ。だが、眼鏡なしのエルンストには、自分の姿は見えなかった。
「あ、ごめん。眼鏡ないと分からないか」
オリヴィエが眼鏡を差し出す。エルンストは一瞬躊躇した。いっそ、このまま、知らずに済ませた方が幸せかもしれない。だが、人の目に自分がどう映るのか、全く知らないというのも不安なものがある。
エルンストは、意を決して眼鏡をかけた。目の前にいたのは、やたらに背の高い、真っ赤なドレスに身を包んだ、エキゾチックな美女だった。
「おい、オリヴィエ。持って来てやったぜ」
ドアの方から声が響くのとほぼ同時に、ゼフェルが現れる。
「…あれ?エルンスト?マジ? すっげーじゃん。本物の女かと思っちまったぜ」
「でっしょー☆ それより、アクセサリー、ちゃんと揃ってんだろうね?」
「ああ、徹夜で作ってやったんだぜ。感謝しろよな」
オリヴィエは、ゼフェルが持ち込んだ段ボールの中から、大ぶりのイヤリングを取り出し、エルンストの右耳につけた。
「あの…こんなのまで付けるんですか?」
「あったりまえでしょ。アクセサリーは、おしゃれの基本。何もつけないでパーティーに出るのは、そのパーティーをナメてるようなもんだよ」
そう言いながら、左耳にも同じ物を付ける。
「重いですね…」
「しょーがねーじゃんかよ。オレは中空でいいと思ったのによー。オリヴィエの奴が、中までちゃんと金を使えってうるせーんだもんよー」
「材料ケチると、ちゃんと分かっちゃうもんなんだって。この金の輝き、最高だねっ」
一通りアクセサリーを身につけ、エルンストは再び姿見を見た。全身から金色の光が溢れ出ている。
「悪趣味な…」
そうは思ったが、もちろん口には出さなかった。口に出したところで、何にもならないのだから。
最後にもう一度、眼鏡を外した状態を見せて、エルンストはようやく解放されることになった。得体の知れない油で顔を拭かれ、薬臭い液体で爪を拭かれ、「特別よ☆」
と言われながら、ほとんど有無を言わさず湯船に浸からされ、エルンストの疲労は頂点に達しつつあった。
着慣れた制服に身を包み、エルンストはふらつく足どりで自分の部屋に戻った。そして、ある決意を固めたのである。
その夜、エルンストは聖地のゲートに向かい、一心不乱に歩いていた。もはや、女王の勅命であるとか、かつてジュリアスがやったとか、そんな物は自分を納得させる材料にはならなかった。逃げよう。一週間や二週間、聖地を空けたところで何とかなるだろう。後で叱責を受けるのは覚悟の上だ。降格も減給も、女装に比べれば何でもない。
だが、ついてない時はついていないものだ。こんな夜更けに外を出歩く者がいるとは、想像だにしていなかった。
「おやー、エルンストじゃないですかー。どうしたんですかー、こんな夜遅くにー」
顔を見るまでもなく、この声と話し方は、ルヴァだった。
「あ、ああ、ルヴァ様ですか。ルヴァ様こそどうして?」
「えーと、まあ、散歩…ですかねー。実は、面白い文献を見つけまして。それを読んでいて、気が付いたらこんな時間だった、というわけですよー。ほら、本を読んだ後、寝付けなくなることってありませんかー? それで、ちょっと夜風に当たろうかと思いましてねー。ああ、そうだ。あなたにも今度お貸ししますよ。惑星の異常運行に関する事例報告集なんですが」
「は…はあ、それは面白そうですね」
「それで、あなたは一体どうなさったんですかー?」
「ええ、私も、まあ、そんなところです」
「そうですかー。私が言っても説得力ないんですが、夜更かしは体に毒ですからねー。そろそろお休みになった方がいいですよー」
「そうですね。ルヴァ様も、お休みなさいませ」
「はい、お休みなさい」
ルヴァはただにこにことするだけで、その場から動こうとはしなかった。けげんそうなエルンストに、ルヴァは平然として言った。
「そうそう。聖地から逃げようなんて、考えないでくださいねー」
「は?」
「ほら、あなた、メイ・クイーンに選ばれたでしょう? それが嫌で逃げ出そうとしてるんじゃないかなー、なんて思ったんですよ」
「そんな…。確かに、好ましくない状況であるとは思っていますが、聖地から逃げ出すほどのことではありません」
「ああ、じゃ、私の思い過ごしだったんですねー。良かった良かった。実は、昔、ゼフェルが聖地から逃げ出そうとしたことがありましてねー。その時の様子と、ちょっと似ていたものですから。いえ、思い過ごしならいいんです。それじゃー、また明日」
これで機先を制されたエルンストは、結局、聖地脱出計画を断念することになった。
いよいよ、待ちに待った五月祭の日がやってきた。もちろん、一名を除いては、だが。
当日の朝は、エルンストの部屋まで、オスカーが迎えに来た。エルンストも、オスカーに逆らうのは得策でないと、既に学習済みである。おとなしく後に従うことにした。
メイ・クイーンの控え室は、宮殿内の広間に用意されていた。既に、オリヴィエとセイランが、実に楽しそうに待ち構えている。ゼフェルの姿はない。どうやら、先に会場に行ってしまったらしい。
「じゃ、この前の要領で行くから」
オリヴィエの声が合図となり、二人がかりのドレスアップが始まった。二回目なので、手際もさらに良くなっている。一時間もかからず、エルンストは「五月の女王」に姿を変えた。
「最高だぜ。だが、この最高の姿、自分で見れないってのは残念だな」
オスカーが笑いかけるが、エルンストには笑顔を返す余裕はない。
「笑って、って言いたいとこだけど、ま、いっか。そういう憂いを帯びた瞳ってのも、なんかこう、そそられる物があるんだよね」
「エルンストさーん、そろそろ出番です。準備よろしくお願いしまーす」
扉の向こうから、進行係の声が響く。
「おっけー☆ もう準備万端整ってるわよ☆」
オリヴィエは、メイクのできが良かったせいか、ひどくご機嫌である。
扉を開けると、そこにはマルセルとティムカが正装して立っていた。
「おや? どしたの、あんたたち」
「あ、僕たち、急にエスコート係に選ばれちゃって…。どうしたらいいんでしょう?」
「そんな話聞いてないけど…。ま、女王様の両脇にいて、一緒に歩けばいいんじゃない?」
「丁度良かったよ」
控え室の奥にいたセイランが顔を出した。
「エルンスト、眼鏡外してるから。足元に気を付けて、つまずかないように注意してやってくれないか?」
「あ、そのためのエスコート係なのかな。気が利くじゃないの、運営委員会ってば」
「あの、エルンストさん…?」
ティムカが中を覗き込んで絶句した。続いて、マルセルが感嘆の声を上げる。
「えーっ、これがエルンストさんなのーっ? 信じられない!」
こんな子どもにまで…。そう思うと、ますますエルンストの気持ちは暗くなった。
控え室から、会場の特設ステージまで、二人のエスコート係に導かれ、エルンストは静かに歩いて行った。メイ・クイーンの唯一最大の役割は、開会の宣言である。それさえ終われば、後はそのままでいようが、着替えてしまおうが、勝手ということになっている。もっとも、通例、すぐには着替えさせてもらえず、次々訪れる参加者と握手したり、まれにサインをしたりするものらしい。だが、エルンストは、挨拶が済んだら、何がなんでも逃げ出そうと固く心に決めていた。
ステージ前には、聖地在住者のほぼ全員が集結していた。しかし、幸いなことに、エルンストにはそれが見えなかった。この時ほど、自分の目が悪いことをありがたく思ったことはなかった。
「それでは、今年度のメイ・クイーン、エルンスト様より開会の辞をいただきます」
司会者の声に、群衆から割れんばかりの歓声と拍手が沸き起こった。その熱気が、臨界点に達していたエルンストの精神の平衡を打ち破った。
エルンストにマイクが渡ると、群衆はしんと静まり返った。エルンストが口を開く。そこから発せられた声は、いつもとは似ても似つかない、二オクターブ高く、ひっくり返った声だった。それは、カウンターテナーというより、完全なソプラノであった。
「皆さん、年に一度の五月祭、心ゆくまで楽しんでください」
再び、群衆から歓声と拍手が沸き上がる。皆、大喜びだ。
マイクを司会者に返したエルンストは、呼び止める進行係を振り切り、今来た道を一目散に走り去った。しかし、視界がぼんやりとしている上に、足さばきの良くないロングタイトが、行く手を阻む。
「くそっ、同じ恥をかくなら、あの深いスリットの方にしておけばよかった」
そうは思っても、それこそ後の祭である。たちまち参加者の群れに囲まれ、握手責めに遭ったことは言うまでもあるまい。進行係の証言によれば、どさくさ紛れに抱きついたり、果てはキスまで浴びせる者もいたそうである。
ともあれ、今年度のメイ・クイーンの評判は、極めて上々であった。
「女の目から見ても、絶世の美女って感じー」
「男だって構うもんか。俺はあいつに惚れたぜっ」
「あのドレスを着こなすなんて、ただ者じゃないわ。男にしとくなんてもったいない」
などなど。
だが、残念なことに、エルンスト本人がその風評を耳にすることはなかった。なぜなら、その翌日から彼は高熱を出し、三十日間寝込むことになったからである。
そして、その三十日間、時空の扉の開閉が不可能となり、結果、女王試験が中止に追い込まれるというおまけまでついてしまったのであった。以後、新宇宙がどうなったのか、それは伝えられていない。
(完)